右肘が「完全に折れた」、聞こえた“破壊音” 手術から8か月…澤柳亮太郎が語る今

澤柳亮太郎【写真:冨田成美】
澤柳亮太郎【写真:冨田成美】

昨年9月4日にトミー・ジョン手術「順調にきている」

 メスを入れてから、8か月が経過した。もう1度、大好きな「38番」を取り戻すために、リハビリに励んでいる。ソフトバンクの澤柳亮太郎投手は「40メートルまで投げられるようになってきました。よくなってきて、痛みもないです。神経症状とかもなくて、8か月のリハビリでいえば順調にきていると思います」と近況を語る。

 ルーキーイヤーだった昨シーズンは11試合に登板。2勝1敗、防御率3.38という成績を残した。しかし、8月10日の楽天戦(みずほPayPayドーム)を最後に登録抹消。9月4日に「右肘関節内側側副靭帯再建術(通称トミー・ジョン手術)および右肘頭骨接合術」を受けたことが発表された。戦力外通告も経験し、2年目は育成契約を結んだ。

 競技復帰まで1年以上を要するトミー・ジョン手術。「自分的には、よくなるためにやりました。トミー・ジョンって日本だと悪いイメージしかないと思いますけど、しっかりリハビリしてメンタルのケアをしておけば、もう1回どころか、さらにレベルアップできる。自分としてはプラスの状態で、チームに戻れると思っています」と前向きに捉えている。実は右肘の限界は近かったと、今だから打ち明けられる。

「試合中に折れたんです。肘を疲労骨折してしまった。楽天戦の時に、制球が効かないんです。『そうだよな』って思って、腹を括って投げていたんですけど、最後は阿部さんに投げたストレートで『バキっ!』って音がして、完全に折れたと思いました。そのタイミングで、『折れたら(手術を)やろう』って決めてはいたので。ショックとかはなかったですけど」

 8月10日の楽天戦、打席には阿部を迎えていた。「もともと、多少の違和感があったので。なんかありそうだなとは思っていたんですけど、やれるところまではやろうと」と万全ではなかったものの、マウンドに上がったからには、覚悟は決めていた。全力で腕を振った結果、肘から“破壊音”が聞こえてきた。「それで折れたかなって」と、現実を受け入れるのに時間はかからなかった。

斉藤和巳3軍監督から意外なアドバイスも

 すぐに手術を決断。当初は右腕にギプスをはめた生活となった。「装具をずっとつけていて、ダイヤルがあるんです。それで曲げられるのはここまでって決められる感じです。それがないと、ふとした瞬間とか、腕を持っていかれて靭帯がプチって切れたら終わりなので」。箸を使うのも、字を書くのも左腕。「『左手を使え』って(斉藤)和巳さんが言ってくれた。『使えるようになったら絶対にいいことあるから』って言われて、練習したらできるようになりました」と、周囲に支えられながら地道な日々を過ごした。

 復帰を果たせるのははるか先で、気分もなかなか上がってこない。1軍で少しずつ居場所を築き始めていた矢先の離脱だっただけに「一番思ったのは、やっぱり『ここから』という時に怪我をしたので。1軍の試合を見ていても『もし怪我をしていなかったら自分がこの場面で投げていたのかな』とか思ったら、気持ちは落ちました。やり切れなかったです」という。

キャッチボールする澤柳亮太郎【写真:竹村岳】
キャッチボールする澤柳亮太郎【写真:竹村岳】

長期のリハビリ生活でようやく見つけた「趣味」

 同じルーティンで毎日を過ごしているから、新鮮さも自ら探しにいくしかなかった。「自分は野球をすることが楽しくて生きてきたんですけど。今は散歩が趣味ですね。自然と触れ合いたいので」と、近況を語る表情はようやく明るくなった。

「熊本に日本一段数がある石段があって、この前は3000段のぼったんですよ。休日に、いきたいところをあらかじめ探しているんです。スタッフの人に『いいところないですか』って聞きながら、田舎でなるべく人がいないところに車で出かけています。博多に行って買い物って言っても、何をしたらいいかわからないというか(苦笑)。自然に触れる方が心は落ち着きます。幸せのハードルは下がっているので、日常に発見があるだけで嬉しいです」

 マウンドに立てない日々の中でも、ファンの声はしっかりと届いている。「このリハビリの状態でも応援してくれる人がものすごく多くて、インスタのDMを見たりして、嬉しくなります。『よし頑張ろう』って気持ちになれるので、これからもぜひ、応援していただけたら」。かつて自分が背負った38番は、今も空き番号となっている。「38番が好きなので、取り戻したいですね」と、爽やかな笑顔で目標を見据えた。

(竹村岳 / Gaku Takemura)