日本に戻り、愛すべき存在の大きさを実感する日々だ。家に帰れば2児のパパ。「子どもの成長を見られるのは、やっぱり嬉しいですね」。家族の話題になると、上沢の表情はふと和らいだ。
2024年の米挑戦は単身での生活だった。家族と離れ離れになり、右肘の怪我にも見舞われた。部屋に1人でこもって、考え込む時間も多かった。「母国ではないところで生活しているので。野球のことばかり考えてしまっていた。今思うと部屋に帰ってもネガティブなことばかり考えていました」。
現在は、福岡で家族とともに暮らしている。様々な声が飛び交う中での移籍となったが、その視線を冷静に受け止め、マウンドに立ち続けることができている。「家に帰ってきて家族に会ったりすることで、そういう(ネガティブになる)時間が少しでも減っていたり、和らいでいる感じがすごくあります」と感謝する。
昨オフ、レッドソックス傘下からフリーエージェントに。米国で再挑戦か、日本球界復帰か――。迷っていた右腕を後押ししたのも、愛妻の一言だった。
「『アメリカでやりたいなら、またやってもいいよ』って言ってくれたのは、すごく大きかった。日本球界に戻るか戻らないか、もう1年アメリカでやるか悩んで。自分の状態と相談して、今回こういう決断に至ったんですけど。そうやって言ってもらえたのは、すごく僕の中では気持ちが楽になった」
悩みに悩んだ末、ホークスでプレーする道を選んだ。「いざ日本球界に復帰するってなったら、『離れて生活するのが辛かった』って言ってたので。結構な負担をかけていたのかなと思います」。妻の深い理解と支えがあったからこそ、上沢は前へと進む決意ができた。
1年ぶりとなる同居生活で家族サービスをする時間も増えた。休日には福岡にある動物園に足を運んだ。「去年1年間、家族と離れて生活していると、毎日そばにいてくれるのはかなり違うなって。改めて家族の大きさを感じますね」。父親としての顔を覗かせる。
「決断するにあたって大事だったのは家族が一番でした」。大切な存在の後押しもあり、新たなユニホームに袖を通した。家族が見守るみずほPayPayドームのマウンドで、ホークスの勝利のために腕を振る。