腰の状態は「知っていた」 上沢直之が明かした近藤健介の報告…自らも味わった“孤独”

上沢直之(左)と近藤健介【写真:荒川祐史、冨田成美】
上沢直之(左)と近藤健介【写真:荒川祐史、冨田成美】

4月2日に球団から発表…本拠地で受けた報告とは

 無念を抱いて離脱する気持ちは、痛いほど伝わってきた。ルーキー時代から知る間柄だからこそ、伝えた思いはたった一言だった。「頑張っておくわ」。

 ソフトバンクの近藤健介外野手が2日、「外側型腰椎椎間板ヘルニアに対する全内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術」を受けたと球団から発表された。2024年は打率.314で自身初の首位打者、パ・リーグMVPにも輝いた。移籍3年目の今季も、柱として貢献するつもりだった。腰にメスを入れる決断を“報告”したのが上沢直之投手だった。

 腰が痛かったことを右腕は「知っていました」という。2011年のドラフト会議で日本ハムに入団した同期。それぞれの道を歩み、福岡で再びチームメートになった。お互いに「特別」と語る存在。近藤から言葉を受け取ったのは、みずほPayPayドームのウエート場だった。

「『手術する』という話をしてきたので『じゃあ頑張っておくわ』って話をしました」

 離脱する直前は、歩き方にさえ慎重な注意を払っているように見えた。上沢も、そんな姿を目にしていただけに「いい順位にいたいですよね。低い順位だとモチベーションもあると思うし。やっぱりいいところにいられるように、それだけです」。共通目標は当然、2年連続のリーグ優勝。近藤が復帰してから、さらにチームが加速できるような状態は作っておきたい。

 上沢自身も、大きな怪我を経験してきた。2016年3月には右肘を手術し、米国にいた昨シーズン中も同箇所を痛めていた。「僕の中では一番大きい怪我だった」というのが、2019年だ。6月18日のDeNA戦、ソトが放った打球が左膝を直撃。「左膝蓋骨の骨折」で、1年以上のリハビリ生活に突入した。

「僕の中では一番大きい怪我だった」

 最初は車椅子の力を借り、その次は松葉杖。自力の歩行にたどり着くまでにも時間がかかった。ただそれも「運が良かった」と、今だから笑う。「(骨が)真っ二つになっていて、しっかり骨折していたんです。粉砕していたら、終わっていたらしいので」。味わいたくはなかった長期の離脱だが、選手生命にまで影響しなかったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

「膝は特に時間がかかりましたね。本当に、もう1回普通に投げられるのかどうかもわからなかったので。いろいろ、気分が上がらない時もありましたけど、家族が支えてくれました。あとは、その時に一緒にリハビリを手伝ってくれたトレーナーさん。そういう方々には今も感謝しています」

 2018年に、自身初の2桁勝利となる11勝を挙げた。翌2019年も、離脱までに5勝3敗。「けっこう気合が入っていた年だったんです。前の年に2桁勝って、次の年に同じような、それ以上の成績を残して弾みをつけたいと思っていたので」と、飛躍のシーズンにすると自らに誓っていた。だからこそ「キツかったですね。あの(リハビリ)期間は大事だったとも思いますけど。(怪我を)してよかったとは思わないです」。地道な日々が“孤独”であることを知っているからこそ、近藤の気持ちにも理解を示していた。

車椅子に松葉杖…上沢自身も経験した離脱

「野球できない期間が長いと、ね。先が見えないリハビリというのはしんどいと思うので。近藤の場合はそんなに長くないし、何度も言いますけど、いい順位にいられるように」

 チームも開幕から苦しい戦いが続いている。上沢は「そんなに深刻な顔をして(プレー)やる必要はないかなと思いますけどね。何かが変わるわけではないですから」と前だけを見つめた。盟友が帰ってくるまでに――。1人1人が最善を尽くしていれば、必ず結果はついてくる。

(竹村岳 / Gaku Takemura)