城島健司が実は提案した“現役延長” 引退の裏側…和田毅が自分に許さなかった「わがまま」

現役引退より少し前…伝えたのは「やめるのはいつでもやめられるんだからな」

 ソフトバンクの城島健司CBOが、鷹フルの単独インタビューに応じた。22年間の現役生活に幕を閉じた和田毅氏(球団統括本部付アドバイザー)とは、たびたびバッテリーを組んできた。ただの後輩ではない。「思い入れがある」。明かしたのは「許されるわがままを言わない」という左腕の流儀だった。先発4本柱のバチバチした雰囲気、マウンドで叱った記憶、決断の裏側……。先輩目線から、過去から現在までを追ってきた。

鷹フル「和田毅引退試合特設ページ」

和田毅投手の引退を記念し、鷹フルは3月14日~16日の3日間「WaDa-Full」に。王貞治氏や松坂大輔氏らが語る特別企画「和田毅の記憶」、ホークス現役選手74人のメッセージを公開。「和田毅引退試合特設ページ」はこちらから。続きを読む

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 和田氏は2002年ドラフトの自由獲得枠で早大からプロ入りし、1年目から14勝を挙げ、新人王を獲得した。チームは日本一に輝く。当時の先発ローテーションといえば、斉藤和巳(現3軍監督)、杉内俊哉(現巨人投手チーフコーチ)、新垣渚、そして和田毅の“4本柱”。城島氏はミットを通して、4人のギラギラした競争心を受け取っていた。

「火曜日に和巳が投げるでしょ。そしたら和巳が次のピッチャーに『俺は勝ったぞ』ってバトンを渡すわけですよ。だいたい金曜日は、杉内か和田。杉内が先に勝ったら……っていうふうに。ライバルだからしゃべらないとかじゃなくて、いい意味でプレッシャーをかけ続けていました。歳も近かったし、まだ自分も確立できていないような若手だったから。その4人が一本立ちしてくれると、僕の仕事がなくなるわけなので、すごく楽でしたよ」

 野手では小久保裕紀(現監督)、井口資仁、松中信彦(現中日打撃統括コーチ)らが中心。城島氏も主力のひとりだった。「秋山(幸二)さんはチームを初優勝に引っ張ってくれた先輩。その次の代、誰がチームの顔になるんだって、俺らも競っていたよ。成績も年俸も負けられねえぞって思っていた」と懐かしそうに語る。似たようなピリピリした雰囲気を、投手陣からもしっかりと感じていた。「ピッチャーたちは、その4人が意識し合っているなっていうのが、ミットを通してすごく伝わってくるような時期でした」。

 日米通算165勝を挙げた和田氏とチームメートとして過ごしたのは3年間だったが、城島氏が「勉強になった」と感謝するのが、右打者の外角に対するコントロールの良さだ。「左ピッチャーはよくクロスファイアーだって、右のインコースにバシってくる球がいいと昔から言いますけど、やっぱりアウトコースは原点なんですよね。和田を語る上ではそこは外せません」。メジャー時代も含め、数多の投手の球を受けてきたが、それほど和田氏は突出していた。

「ホークスに入ってきた時から、外のコントロールの良さっていうのはすごく印象に残っています。1番かどうかかはちょっと説明できないけど、全体で見るとトップ3に入るぐらい。そこが1番信用度が高いから、中心に配球していくわけですよね。和田って体も細いし、両サイドにバシバシって投げるイメージですけど、逆を言うとそこ以外の球って、本当にコントロール悪いんです(笑)。結局、違う球を投げても甘くなって打たれるので、『それだったら外で抑えろ!』みたいな話をした覚えはあります」

和田毅が生き様とした言葉…伝えた城島健司は「俺は覚えていないんだよね」

 和田氏が駆け出しのころ、マウンドで悔しさを態度に出したことがった。城島氏は、激しく叱った。「お前、テキトーに投げてんだろ。一生に1回しか球場に来られないファンの方もいるかもしれない。その人の気持ちを考えろ」。ユニホームを脱ぐ瞬間まで和田氏は、この言葉を生き様で体現してきたが、伝えた城島氏自身は「俺は覚えていないんだよね」と豪快に笑う。その上で「そう言ったということは、それは間違いなく僕が王さんから言われた言葉」だと、古き記憶を思い返した。

 1995年から2008年までホークスの指揮を執った王貞治氏(現球団会長)は、城島氏にとってもプロ入りして“最初の監督”。ふと、開幕への準備を進める3月のことを思い出した。

「王さんはね、オープン戦の最初の試合で必ずベストオーダーを組むんです。それが『今年のホークスはこれだ』というファンへのメッセージなんですよね。当然、3月だから僕が『寒い』とか言っていたら、王さんに同じことを言われたんだと思います」

 応援してくれる人がいて、プロ野球は成り立つ。王氏から選手へ、選手からその後輩選手へ――。ホークスの系譜を、和田氏も繋げてきた。

城島健司の提案「オープン戦が無理だったらやめてもいいんじゃない?」

 和田氏の現役引退が発表されたのは、昨年11月5日だった。その少し前、まだシーズンを戦っていた時、城島氏は不意に声をかけた。「やめるのは、いつでもやめられるんだからな」。その時、すでにユニホームを脱ぐ決意を固めていたことは知らなかった。プロ野球は契約の世界。シーズン終盤になれば、どんな選手でも去就が注目される。「長くやる方が絶対にいいし、現役は今しかできない。秋に判断しなきゃいけないみたいなのが、僕は嫌なんですよね」と城島氏は言う。実績を残したのなら、最後の“花道”も自分で決めていいというのだ。

「別にキャンプで投げてみて、『やっぱりダメだ、肩が痛いから辞めます』でもいいじゃん。どこかが悪いんだったら、オフにリハビリを頑張ってみて、オープン戦が無理だったらやめてもいいんじゃない? っていう提案をしたんです。そんなことを言ったのも和田しかいないですよ。43歳までやったんだし、それぐらいのわがままいいじゃないって。20代の選手には言わないですけどね。その何か月後に『やめます。あの時にはもう決めていたんですよ』って言われました」

 大先輩からの提案に、和田氏は首を横に振った。昨年7月には固めていた引退の意思を、そのまま貫いた。わがままを言っていいのに、言わない。その“頑固さ”こそ、22年間も現役でいられた理由が詰まっている。

引退試合に向け調整を行う和田毅氏【写真:竹村岳】
引退試合に向け調整を行う和田毅氏【写真:竹村岳】

「自分に厳しくて、トレーニングにも向き合って、私生活も全部、野球に捧げてきたから43歳までやれた。誰よりも自分に厳しいんですよ、毅は。だからこそ、わがままを最後にも言わないんだろうね。言ってもいいのに、それだと自分に納得しない。だからそういう決断になるのかなって。あそこまでくると、許されるわがままも言わないんだなっていう印象でしたね」

 球団統括本部付アドバイザーという肩書きで、和田氏は今後もチームのために尽力する。城島氏のように、フロント職にも興味を抱いているという。当然、後輩の活躍にも期待を寄せる。「和田は『35歳までなら走らなくていい。でも40歳を過ぎても野球がやりたいなら、僕は走れと言います』って言うんです。43歳までやった彼だから説得力がありますよね。球団として、宝ですよ。彼がいてくれるなら、そういうことを伝えていってほしいです」。互いに、歳を重ねた。2人の願いは、これから一緒にホークスを強くすることだ。

74選手の贈る言葉「永遠のアイドル」「一緒に馬を」 和田毅が後輩たちに伝えた“最後の思い”

鷹フルでは、和田毅投手の引退に際し、取材のできたホークスの74選手から“贈る言葉”をいただきました。仲間たちが語る和田投手の存在の大きさ、そして最後に和田投手からチームへのメッセージも。受け継がれる思いとともに、その言葉をお届けします。続きを読む

(竹村岳 / Gaku Takemura)