喜びと覚悟に満ちた表情だった。春季キャンプ第5クール初日の20日、筑後のファーム施設に姿を見せたのは大山凌投手だった。本来であれば、宮崎でキャンプを過ごしているはずの右腕。2月も折り返し、実戦も増えてきた大事な時期に、宮崎を離れていた理由を幸せそうに報告した。
大切な瞬間に立ち会うために16日の練習後に出産を控えた妻がいる福岡へと急いだ。当初の出産予定日は20日。そのことを首脳陣に伝えた際に、「近くなったら早めに帰ってやれ」と倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)や若田部健一投手コーチ(ブルペン)らに声をかけられていたという。16日に兆候がある旨の連絡を受けると「行ってこい」と送り出してもらった。
大山が帰福した2日後の18日に待望の瞬間を迎えた。元気な男の子。「自分を待ってくれていたのかな」と嬉しそうな笑顔を見せる。妻子にパワーを貰い、翌19日から張り切って筑後で練習を再開させたが、その日はキャンプ休日。そんなことも忘れるほど幸せでいっぱいだった。
プロ野球選手という職業。開幕1軍を争う大事な時期にチームを離れることを快く許してくれた球団に大山は改めて感謝した。「2年目で、まだ全然1軍に定着もしていないのに。そんな中でA組に入れてもらったので、言い出しづらいところはあったんですけど……」。当初は相談することにためらう気持ちもあったが、妻の出産が近いことを周囲の選手たちに話すと、「(首脳陣に)絶対言った方がいいよ」と背中を押してもらえたという。
「勇気を出して伝えてみたら『絶対立ち会え』って若田部コーチに言われました。倉野コーチや他のピッチャーコーチの方々にも『絶対立ち会え! 人生観変わるぞ』って言ってもらえました。本当にその通りでした」
後押ししてくれた首脳陣や球団への感謝は尽きない。「お前のためじゃないから勘違いするなよ! 奥さんのためだからな」。若田部コーチからは人生の先輩として、2人に対する愛のある言葉。温かいひとつひとつのやりとり。家族思いの球団にいられることが嬉しかった。
多くのアシストを受けながら、無事に出産に立ち会うことができた。父になったかけがえのない瞬間。「出産は相当キツいっていうことを話では聞いたりしていましたが、想像していたよりも……すごかったです。いざ妻の姿を見ると、『頑張れ』と言いたい気持ちもあったんですけど、もう頑張っているから何も言えないんですよね。ただひたすら汗拭いて、水飲ませて、って感じでした」とあたふたしながらも愛妻に寄り添った。
「何も言えんかったわ」
宝物を授けてくれた妻にと自身の思いを伝えると、「スポーツ選手すぎるね」と笑われた。「だって、頑張っているのがわかるから」。大山は頭を掻いた。「涙は堪えました。何回か出そうになったけど。1回出たらあれは多分止まらないですね。本当に立ち会えてよかったです」。胸いっぱいの感動に何度も幸せを噛み締めた。
我が家へと帰ってきた妻子に大山は粋な“お祝い”を用意した。子どもの頃から得意だったというお菓子作り。サプライズで準備したのは「いちごのチーズケーキ」だ。練習後に買い出しへと向かい、心を込めて作った。
大山は24日からチームに合流し、首脳陣に笑顔で報告した。「いざ本当に生まれるとやっぱりまた気合いが入りますね。可愛くて可愛くてしょうがないです」と既に覗かせたデレデレな父親の顔。守るべき家族が増えた右腕は、より一層強い決意を持って、プロ2年目のシーズンに挑む。