上沢直之が日本ハムを選ばなかった理由 覚悟したファンの“逆風”…全てを語る22分

入団会見に臨んだ上沢直之【写真:飯田航平】
入団会見に臨んだ上沢直之【写真:飯田航平】

入団の決め手「ホークスさんの熱意に僕の心が打たれたのが一番です」

ソフトバンクは26日、福岡市内のホテルで上沢直之投手の入団会見を行った。背番号は10番。2023年オフにポスティングシステムを利用して、米大リーグに挑戦した。日本球界復帰は「簡単な決断ではなかった」と振り返る。明かしたのは「日本ハムに戻らなかった理由」だった。自分自身を「再構築」するために――。背番号、ファンからの厳しい声、近藤健介外野手の存在……。22分にも渡った会見の全文を、一問一答形式で掲載する。

○代表インタビュー

――今の心境は。
「こうして福岡ソフトバンクホークスに正式に入団させていただくことになり、嬉しく思っていますし、皆さんの前でお話しできることを嬉しく思っています」

――ホークス入団を決めた理由。
「何度かお会いさせていただいた時に、僕に対する役割や、こうなってほしいというビジョン、倉野さんとも1度話をして、こういう環境でこういうところがホークスは優れているとたくさんお話いただいた。ホークスさんの熱意に、僕の心が打たれたのが一番です」

――倉野コーチの言葉とは。
「アメリカでたくさん悔しい思いをしたと思うし、僕自身もアメリカの環境に適応しようと試行錯誤を繰り返していたんですけど。倉野さんもコーチの修行、勉強をされていた。『色々とできることはあると思うから、しっかりとやっていこう』と話をいただきました」

――ホークスというチームの印象。
「僕が日本でプレーしている時から何度も対戦してきた。本当に手強いというか、素晴らしいチームだと感じていました。投げていても嫌なチームだというのが正直なイメージでした。それがこれからは味方になるので、それに関しては頼もしく思っています」

入団会見に臨んだ上沢直之【写真:飯田航平】
入団会見に臨んだ上沢直之【写真:飯田航平】

――福岡の町に対する印象。
「何度か遠征でもきているんですけど、本当に食事が美味しい。あとは福岡の町全体がホークスを応援している、そんなイメージがあります」

――決断まで悩んだ。
「それはもちろんありましたし、今回の決断は僕にとって簡単ではなかったので、すごく時間をかけて悩みました。いろんなことを考えましたけど、この決断が、よかったものと言えるようにプレーや結果で見せられたら」

――周囲に相談はしたと思うが、一番悩んだ部分は。
「ファイターズの皆さまには僕を野球選手として育てていただいた。ファンの方には、北海道のみならず鎌ヶ谷の時からも、いい時も悪い時も、支えていただいた。何よりもアメリカに挑戦できたのもファイターズの皆さんのおかげだと思っています。そういった点を考慮した時にすごく悩んだし、本当に簡単ではなかったので、時間をかけて決断させていただきました」

――米国での経験から学んだこと。
「なんとかアメリカの野球に適応しようといろんなことを試行錯誤しながら、毎日苦悩する日々が続きました。うまくいくことがほとんどなかったので、そういう点では毎日野球のことを考えている生活というか。24時間、ほとんどが野球のことでした。そういう中でも、アメリカでの野球で勉強になったことはたくさんありましたし、これからの野球人生に生かしていかないといけないです」

――背番号は?
「10番です。三笠さんに提示していただいて、複数(選択肢は)あったんですけど。10というのは、僕自身好きな数字。自分が着ているところを想像して、似合う番号にしたいなと思って選びました」

――年明け以降の予定は。
「年が明けて、すぐに宮古島に移動して、しっかり自主トレをします。そこからキャンプに入ろうと思っています」

――自主トレのテーマ。
「毎年、まずは体を強くすること。また日本球界に戻って、もう1度挑戦するということなので。ボールの感覚、曲がり方を確認しながら、たくさんブルペンに入って、なるべく早く調整していけたら」

――ホークスでの抱負。
「契約交渉の場でもホークスは世界一の球団を目指していると三笠さんから言っていただいた。僕も一員になれるように頑張りたいですし、日本一の戦力に必ずなれるように頑張っていきたいです」

――日本ハム時代の同僚、近藤の存在。
「ホークスに入団するにあたって、ずっと一緒にプレーしてきた同級生がいるのは心強いですし、困ったことがあれば聞けるんですけど。基本的には自分で決めたこと。どれほど相談しても、そんなに人に決められるような簡単な決断ではないので、入団は自分で決断しました」

背番号「10」を見せる上沢直之【写真:飯田航平】
背番号「10」を見せる上沢直之【写真:飯田航平】

○囲み取材

――簡単な決断ではなかった、と。
「一番は、先ほども申したように、自分の中で適用しようとした中で、いろいろ吸収しようと試していた中で、自分の強みがわからなくなった。この状態でもう1度アメリカに挑戦して、自分のレベルアップに繋がるのかなと考えた時に、日本球界に挑戦して自分を再構築、レベルアップすることが必要だと思いました。(メジャーに)挑戦するまでは1年で戻るとはまさか思わなかったですけど、こういう決断になりました」

――1人の投手として、自分を確立させるのは日本の野球だと思った。
「間違いなく慣れているのはこちらの環境。もう1回、自分を再構築する方が、キャリアを考えた時にこっちの方がいいんじゃないかと思いました。長く悩みましたけど、そういう決断になりました」

――日本ハムという選択をしなかった理由は。
「もちろんファイターズさんにはものすごく感謝しています。育ててもらったし、アメリカに挑戦させてもらえたのもファイターズのおかげだと思っています。その中で、今後を考えた時に、倉野さんともお話をさせていただいた。もう1回、新しい環境で自分のレベルアップを考えた時に、ホークスでプレーすることが自分を再構築することになる。しっかりやることが大切だと考えました。あとは三笠さんと面談した時に、先発ローテに入って日本一の力になってほしいと強く言われたので、そこが大きな決め手でした」

――厳しい声もあったと思うが、それでもホークスを選んだ。
「もちろんそれは自分でもわかっていました。その中でもホークスは最後、僕が決めた道なので。さまざまな声が上がるのはわかっていましたけど、より良い決断だったと思えるように、自分の野球で示していけたら」

――日本球界復帰を決断した瞬間はどんな状況だった?
「日本に帰国してから、ですね。帰国して、1か月くらいした時に、家族とも話しながら、あとは僕自身でこうした方がいいとも考えながら、その中で決断しました」

――倉野コーチと会ったというのは、その期間ですか?
「その時はまだです。まずは日本球界でプレーするというのは自分で決めたこと。倉野さんとお会いしたのは、もう少し後です」

――いろんな人と相談したと思うが、上沢投手が下した決断とは、違う意見も多かったですか?
「難しいですね。僕が相談した方は、プロ野球界にいる方が多い。『しっかり最後は自分で決めたことが大切』だということは、口を揃えて言っていただきました。自分が決めた道を正解にするのも、不正解にするのも自分ということはいろんな人に言ってもらったので、最後は自分で決めた話なのかなと思います」

――夏に肘を痛めた。経緯と経過を教えてください。
「経緯は試合中に右肘を痛めてしまった。そこから、基本的にはノースローで過ごして、今はキャッチボールで長い距離を投げられているので、問題ないと思っています。1月に入ったら傾斜でピッチングを強くできると思っています」

帽子をかぶせてもらう上沢直之【写真:飯田航平】
帽子をかぶせてもらう上沢直之【写真:飯田航平】

――米国での野球で、フォームを崩してしまったかもしれないが、どうやって戻していく。
「アメリカでは基本的にずっと中継ぎで入っていた。直す時間もなかったのが正直なところです。シーズンが終わって、今は1つ1つ、自分のフォームを分析して直しているところです。ここから傾斜に入っていけば問題ないかなと思います」

――「結果で見せられたら」と話していましたが、チームの結果か、個人の結果、どちらに比重を置きたい?
「チームの日本一は僕だけでどうにかなることではないので、そこに関しては。まずは1年間、先発ローテとして怪我なく投げることだと思います。今年はずっと中継ぎで、先発から離れている時間が人生で一番長い。基本的に先発しかやってこなかったので」

――日本球界に復帰する中で、いくつかオファーはあった?
「そこはあまり言えることではないです」

――背番号は複数の選択肢があったと言っていた。差し支えなければ、10番と何番が選択肢にあった?
「10番と、1番です」

――その選択だと、10番の方が似合いそうだと思った?
「僕が1桁が似合わなさそうだなと思ったし、10番の方がしっくりくるかなと思いました」

――新庄監督とのやり取りは?
「まだそんなにはメッセージとかは取っていないので、特に何かは言われていないです。基本的には吉村さんだったりとしか取っていないので、球団の方とは」

――日本ハムにはお断りの連絡はした。
「決断をする際にはしっかりと吉村さんには連絡を入れました」

――開幕2カード目はエスコンフィールドで日本ハム戦。
「どこで投げようとやることは変わらない。もしそこで投げることになれば、ホークスが勝てるように投げたいなと思います」

――黄色のネクタイは今日のために用意した?
「もともと1本、持っていました。それを持ってきました」

――こだわりたい数字。
「怪我なく投げていくことが一番大切。それくらい(170イニング)投げられたらいいなと思います」

――球団から「ビジョン」を伝えられたと言っていた。2025年だけではなく、その先まで軸として考えられていると受け止めた?
「そういうことも含めて言っていただけた。一緒に日本一の力になってほしいと強く言ってもらいましたし、それが一番の決め手になりました」

――米国への思いは、また封印することになる。
「日本に挑戦する以上はそういう気持ちでやってもうまくいかないと思うし、まずはホークスのために頑張るのが大切。1年で帰ってきたことは僕のアメリカでの挑戦を応援していただいた人に、本当に申し訳なく思います。この経験が無駄ではなかったと、言えるように過ごしていきたいですし、そうするべきだと思います」

――日本への「挑戦」という表現に意味はある?
「戻ってきて、簡単に成績を残せるような世界ではないと思っています。僕にとっては挑戦かなと。もう1回しっかりと、自分の投げるポジションを掴み取らないといけないので。そういうイメージです」

――米国で「自分の強みがわからなくなった」と言っていた。具体的にはどんな状況だった?
「自分の強みはデータに出ない。僕の中では球持ちとかを日本球界の時は気にしていたので。スピードよりも速く感じさせるとか、そういうのをこだわってやっていた。それに関係なく速い球を投げられたらいいんですけど、僕はそういうタイプではなかったので。アメリカに行ったら、それが一番大事というか、数字で示される世界になった。そのうちで、いろいろと『この数字をこうしないといけない』ってなる中で、僕のよかった持ち味が消えてしまった感じがありました。それをもう1度、オフシーズンでやりたいです」

(竹村岳 / Gaku Takemura)