3本塁打を記録したルーキーイヤー、開幕スタメンを掴んだ昨シーズン。そして、懸命な努力によって才能が花開いたのが、3年目の2024年だった。80試合に出場して打率.270、7本塁打、29打点をマーク。6月21日に1軍に昇格して以降は登録抹消されることなく、リーグ優勝に貢献した。全てが終わった11月、どのようにシーズンを振り返るのか。
「最初、(春季)キャンプでB組スタートになって、そこで調子も良かったので自信を持ってオープン戦に臨んだんですけど、ヒットを1本も打てなかった。それが1回目の挫折でした。その後は開幕2軍で、また調子も良くなって1軍に上げさせてもらったんですけど、2打席で打てなくて、2軍に落ちて……。今年は挫折が2回ありました。去年も入れたら3回目なんですけど。もう同じ失敗はしたくないというか、次に上がった時は絶対に打ってやるという気持ちでやっていた中で、自分が目指していた打撃像に当てはまる練習の方法を見つけられました」
昨シーズンは15試合出場に終わり、打率.038とプロの壁にぶち当たった。夏場以降は右肩痛にも苦しんだだけに、今春キャンプではハイペースにもならないように小久保裕紀監督にも配慮され、B組スタートとなった。3月のオープン戦では11試合に出場して16打数無安打。開幕して4月4日に昇格するも、2打数無安打で15日に2軍降格となった。「挫折」とハッキリ言えるほどの強烈な経験が、自身を強くした。
「本当に自信を持って1軍に上がったんです。その時は2軍でも打っていたので。これならいけると思っていた中で、2回ダメだったので。何をやったらいいんだろうというのは感じました。6月後半に上がった時に、ポンポンと打てたので。もう無理なのかなと思ったところから、諦めずに練習できたことがよかったのかなと思います」
4月15日の登録抹消から約2か月間、再びファーム生活を送った。結果的にウエスタン・リーグでは打率.317を記録したが、「2軍に落ちて、最初の1か月半とかは打率も.250くらいを行き来していた。このまま終わってしまうんじゃないかという気持ちもありました」と振り返る。1軍で成績を残せず、焦りを抱いていた。自分を変えないといけないことは誰よりもわかっていた。「思い切っていろんなことを試してみようと思っていた中で、YouTubeでいいものが見つけられました」と、ようやく打撃の方向性が定まった。
印象に残っているシーンに挙げたのは、9月7日の西武戦(みずほPayPayドーム)だった。正木は「6番・右翼」で出場。5回2死二、三塁で近藤健介外野手が申告敬遠され、打席が回ってきた。結果は空振り三振。この日は5打席のうち、実に3度が得点圏だった。「あそこで打てなかったのは悔しかったですね」。今だから冷静に語ることができる。
「チームも連敗していた中、近藤さんが申告敬遠されてのチャンスが2回くらいあった。それを全部潰してしまった。それはすごく悔しかったです。それまで得点圏でも打っていたんですけど、その数回打てなかっただけで、ツイッター(X)を見たら結構書かれていたし、DMも来ていました。あんまり気にしない方なんですけど、近藤さんが申告敬遠された後だったからこそ、あそこは打ちたかったです」
いつも温厚な表情で、チームメートとも言葉を交わしている。一方で、“負けず嫌い”も正木の代名詞だ。「僕はマジで物に当たらないんですけど、あの日は当たってしまいましたね……」。本拠地のロッカーに突如、鈍い音が鳴り響いた。「その時は若い子しかいなかった。先輩がいたらさすがにやらないですけど、思いっ切りヘルメットを叩きつけちゃいました。それくらい悔しかったです」。
全てが終わった今だから、自分の行動を冷静に反省している。「これまでの人生であまり物に当たったこともないし、『当たるな』という教育を受けてきたので、やめようって思いました。もうしないです」。“爆発”させた感情も、1軍の舞台で全力で戦った証。貴重な経験を繰り返して、正木智也は何倍も強くなった。