心を許せた後輩…周東佑京が察した電話「あ、人的なんだな」 胸に残る甲斐野央との“たわいもない日々”

自主トレを公開したソフトバンク・周東佑京【写真:竹村岳】
自主トレを公開したソフトバンク・周東佑京【写真:竹村岳】

1月11日に人的補償で甲斐野央の移籍が発表…周東はともに2019年からブレーク

 1本の電話で、全てを察した。スマートフォンに表示された名前は「甲斐野央」だった。周東佑京内野手が、人的補償での移籍について言及した。西武の一員になることが決まった甲斐野央投手へ、うなずきながら、本音を明かした。「僕らの関係が終わるわけではない」――。

 チームは今オフ、西武から山川穂高内野手を獲得した。国内FAでの移籍で山川はAランクと見られ、人的補償が発生。指名されたのが、甲斐野だった。周東は2019年3月に支配下登録され、25盗塁を記録してブレーク。甲斐野も同年は65試合に登板して、ともに若鷹としてチームを支えた。同年11月に行われた「プレミア12」では、ともに野球日本代表「侍ジャパン」として世界一に貢献。誰もが新星の誕生を疑わなかった。

 お互いに大きな怪我も経験し、気がつけば30歳も近くなってきた。周東は、選手会長という肩書きを背負うまでになっていた。公私ともに関係の深かった甲斐野の移籍を、周東はどのように受け止めたのか。驚きと寂しさ、プロとしての覚悟とともに、本音を明かした。

「そういう世界ですし、いつ誰がいなくなるかもわからない世界なので。ビックリはしましたし、仲はいいですし、行ってほしくない気持ちももちろんありますけど。でも、一生会えなくなるわけではないですし、シーズン中に西武とやることも多いですから。今までの僕らの関係が終わるわけではない。ただ、ちょっと会えなくなるだけかなと」

 人的補償は11日の夕方に発表された。甲斐野から電話が来た時、周東は自主トレ先の都城市でトレーニングをしていたという。スマートフォンに映る「甲斐野央」の名前を見て、全てを察した。「『あ、人的なんだな』って」。10分ほど言葉を交わしたといい「『今までありがとうございました』という連絡が来ました。まだ筑後にも行くと言っていたので、そこに合わせて僕も行きたいです」と、福岡で再会できるチャンスがあるそう。今はそれぞれが自主トレの地に散っているだけに、必ず笑顔で再会したい。

 2019年、甲斐野は開幕から1軍入り。周東は4月となってから1軍に昇格し、2人の関係は加速した。「僕にとっては年も近いですし、なんでもしゃべれます」と存在を表現する。甲斐野は高校時代は野手も兼務していた。人によって態度を変えることなく、誰にでも素直に助言を求めて耳を傾ける周東は「あいつは野手もやっていて、野手の気持ちもすごくわかってくれる。いろんなことを2人で『ああじゃない』『こうじゃない』って言いました」と、切磋琢磨してきた関係だ。

 印象に残っていることを問われても「思い出に残っていることが、あんまりないんですよね」と笑って答える。「若い頃はすごく一緒に買い物に行ってたな、移動も一緒にしたりしていたなって感じです」と、パッと出てくるのはたわいもない日々だった。何歳になっても、どこにいようと、20代前半から同じチームでプレーした事実は絶対に変わらない。球友の活躍を願いつつ、今は自分のことに集中する日々を過ごしている。

「会えなくなるわけじゃないですし、他の球団でプレーすることになっていますけど、グラウンドの上で会えますから。そんなに、現状は人のことを気にしている余裕も僕にはないので、自分のことをしっかりやって、チームのことも考えないといけない立場ですから。仕方ないことだと捉えてやっています」

 栗原陵矢外野手は、甲斐野から「お前に1個だけ言っておくけど、マジで絶対に打つなよ」と言われたそうだ。周東にとって関係の深かった高橋礼投手と泉圭輔投手は、トレードで巨人のユニホームに袖を通した。続いて甲斐野まで移籍となり、次会う時はマウンドと打席で相対する時となる。周東は「打てる時もあれば打てない時もある。敵ですから。あまり感情は入れないようにしたいです」と、プロ野球選手らしく語る。元同僚に心からのリスペクトを払いながら、チームの勝敗を背負って全力で戦う。

 選手会長への就任が決まって、オフを過ごした。「(人前で)しっかりしゃべること、ふざけないことです」と笑う。一方で「優勝していないシーズンが続いている。僕も、他の選手もモヤモヤして過ごしている。そこを先頭として引っ張っていきたいです。今までは先輩に引っ張ってもらっていたので、会長になったのもあるんですけど、もっと先頭に立っていきたいです」と凛々しく語った。笑顔に寂しさ、豊かな表情の中で、確かな覚悟が伝わってくる。周東佑京らしい、そんな自主トレ公開だった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)