小久保監督と3人でリハビリに励んだ日々も
ファームを引っ張る2人の指揮官は、ダイエー時代から固い絆で結ばれている。大越基3軍監督にとって、斉藤和巳2軍監督はどんな存在なのか。「最高のお手本だと思いますよ」――。ユニホームを脱いでいる時でも変わらない、美しい姿勢。どんな時でも“選手ファースト”を貫く斉藤監督の信念に迫った。
大越監督は1992年にドラフト1位でホークス入り。入団当初は投手だったが野手転向を果たし、通算で365試合に出場した。入団から3年後の1995年に斉藤監督が同じくドラフト1位指名を受け、2人は出会った。印象的だったのは、復活を目指す姿。「小久保(裕紀)監督と和巳監督が同じ時期(1998年)に手術をして、ドームでリハビリをしていたんです。私も(左)腓骨を骨折していて、一緒にやっていた記憶はありますね」。今では各軍を背負う3人の“リーダー”。励まし合った日々は今でも大切な思い出だ。
今季から大越監督は3軍に配置転換となり、斉藤監督も2軍が新しい“職場”となった。6歳年下の指揮官を、どのように見つめているのか。「率直にすごいなと思うところは、超有名人ではあるけど、選手のお手本になろうとしている姿です」。記憶に刻まれているのは、若鷹寮内で目にしたあるシーンだ。
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続きの内容は
斉藤監督が風呂場で見せた「最高の背中」の真意
若鷹を「放っておけない」…斉藤監督の愛情の源泉
2人の指揮官がもたらした、筑後のC組に生まれている「変化」
「洗面器やら座っていた椅子を全部片付けて出て行く」
「例えばお風呂場から出て行く時、洗面器や座っていた椅子を全部片付けて並べていくんです。さらに足拭きマットまで並べて。そういう姿は見たことがありますね。僕の方が勉強させてもらっていますよ」
チーム関係者しか入れない場所でも、指揮官の所作は美しかった。現役時代は2度の沢村賞を獲得するなど、ホークスのエースとして君臨した斉藤監督。大越監督も「監督室の机やロッカーもお見せできたらいいんですけど、めちゃくちゃ綺麗ですよ。整理整頓は私も心がけていますが、和巳監督のはちょっと違います。ピッチャーって、バッターを打ち取るためにもそういうところまで細かくしないとダメなんだなと思いました」と唸るしかない。私生活でも隙を見せないから、“最高のお手本”として、選手たちに背中を示すことができる。
春季キャンプも第2クールに突入し、斉藤監督は宮崎で若鷹たちと汗を流している。第1クール最終日となった4日、午後5時を過ぎても佐倉侠史朗内野手は室内練習場でフリー打撃を行っていた。隣で見守っていたのが、背番号88の指揮官だ。「すみません、早く帰りたいですよね」。佐倉が発した気遣いの言葉にも、首を横に振る。納得がいく“最後のスイング”まで、その姿に目を凝らしていた。
ファーム組織の指揮官同士、コミュニケーションを取ってきた大越監督だからこそ、その真意は理解できる。斉藤監督の“兄貴肌”は「心配」という言葉に込められていた。
「選手のことが『やっぱり心配になる』『放っておけない』と言っていましたね。1回や2回じゃないですよ。何度もそういう言葉を聞いたことがあります。兄貴分的な考えなのか、父親的な考えなのか、きっと両方だとは思うんですけど。そういう気持ちで選手と接している。それが愛情なんだと思いますよ。学ばせてもらうことが多いし、和巳監督がやろうとしていることを『本音で聞きたいな』って思うことは私もあります」
C組に生まれている変化「和巳監督がやってきたこと」
S組、C組、そしてリハビリ組が春季キャンプを過ごしているタマスタ筑後。ほとんどが育成選手で構成されているC組にも、少しずつ“変化”が生まれているという。大越監督はこう語る。「自主的にやっていますね。休みの日も練習する選手がいたり、午後から全体メニューがスタートするピッチャーが午前中から体を動かしたり。そういうのが見られるのは、和巳監督がやってきたことが姿、形になってきているんです。風通しを良くして、もっともっといい組織にしていきたいですね」。前のめりな姿勢は確実に受け継がれている。ホークスが強くあり続けるために、若鷹の成長は必要不可欠だ。
「一番は選手をどう育てていくか。自分はもちろん、1人の力ではどうにもならない部分があるので。いろんな人を巻き込んでいきたいです。そういう面では、和巳監督はすごく勉強熱心。尊敬の念を持って接しています。小久保監督もそうなんですけど、まるで本を読んでいるかのようです。そんな人たちと一緒にできる、話を聞けるというのは本当に貴重な時間です」
選手たちのためにも、自分に対する妥協は絶対に許さない。2年連続の日本一を目指す2026年。2人の指揮官が、ファームからホークスを支えている。
(竹村岳 / Gaku Takemura)