「プロは無理かも」ドラ2稲川の“挫折” どん底から救われた同期の姿と2年後の約束

稲川竜汰【写真:森大樹】
稲川竜汰【写真:森大樹】

苦しい時に支えられた盟友「大事なところで怪我をしてきた」

 2025年のドラフトでホークスは支配下選手5人、育成選手8人を指名しました。鷹フルではチームの未来を担う新人を紹介します。第1回は九州共立大からドラフト2位で指名された稲川竜汰投手です。大一番で怪我に苦しんだこれまでの野球人生。支えてくれたのは1人の同期の存在でした。

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「本当に大事なところで怪我をしてきたので」。振り返れば、福岡・折尾愛真高時代は1年夏から公式戦出場を果たすも、2年夏には左足首を骨折し手術。練習中のスライディングが原因だった。九州共立大では1年春のリーグ戦で4勝、防御率0.62を記録する最高のデビューを飾ったが、3年春に右膝を負傷して2度の半月板手術を受けた。

 そこからドラフト2位で指名されるまでに復活を果たした。稲川が振り返る野球人生の原点。「野球を辞めたくなりました。プロはないなって思って」。思い返したのは1度の挫折だった――。

 高2の夏に145キロを記録し一気にスカウトからの注目を集めた。初めてプロの世界を現実に感じ、野球への本気度が一層増した。順風満帆に進んでいた中、1本のスライディングで一気に崩れ落ちた。「走塁練習中のエンドランで、ショートを避けようとして足を巻き込んでしまって……。最初は捻挫だと思ったんですけど骨折でした」。手応えを感じていた中での出来事だった。

 足首にボルトを埋める手術。高2の冬に復帰を果たすも、引退までボルトは入ったままだった。「自分では大丈夫だと思っていても、体が反応してグッと踏み込めない」。違和感を拭えないまま、甲子園出場は果たせず。不完全燃焼で迎えた1度目のドラフト会議。学校での会場準備もない静かな指名漏れだった。

2度の手術…漏らした「もう無理だ』

 それでも九州共立大へ進むと一気に輝きを放った。春のリーグ戦で防御率1位となり、全日本大学選手権では強豪・東北福祉大を完封。「ボルトも取れて、何も気にせず無心で投げられたので。あの頃はすごく良かったです」。周りからは「4年後はドラ1」と多くの期待の声をかけられた。

 しかし、またしても右腕を怪我が襲う。3年春のリーグ戦直前、右膝を痛めて半月板損傷と診断された。原因は右足をひねる投球動作の負荷が、膝を蝕んでいたことだった。またもドラフト前の大怪我。春と秋に2度の手術を受け、1年間投げることができなかった。「本気で野球を辞めたくなりました。仲の良い同級生には『もうプロは無理かも。野球辞める』と漏らしていましたね」と苦しい表情で振り返った。

 人生で初めて抱いた野球を辞めたいという思い。リハビリにも力が入らず、どん底にいた稲川を救ったのは、大学同期の小中稜太投手だった。同じプロという夢を目指す右腕は同時期に怪我に苦しみ、長いリハビリ生活をともにした。優しい言葉と、力強い姿が背中を押してくれた。

「『学生野球最後なんやから、悔いなく終われたらいいんじゃね?』って言ってくれたんです。しかもそんな話をしていた小中が、4年春に復帰して最優秀防御率を獲ったんですよ。そこから侍ジャパン大学日本代表選考合宿に選ばれるまでになった。その姿を見て、自分も頑張らなきゃって勇気をもらえたんです」

交わした約束「先にプロで待っている」

 4年春は痛みと付き合いながら、完全な状態ではなかったがマウンドに戻った。スカウトへのアピールよりも、右腕を突き動かしたのは怪我で投げられなかったチームへの申し訳なさと「投げて終わりたい」という一心だった。4年春の防御率は11点台と本来の姿とはほど遠かったが、リハビリ中のトレーニングの成果もあったのか、不思議なことにリーグ戦が終わると膝の痛みはスッと消えた。4年秋には3勝を挙げリーグMVPを獲得。完全復活を遂げた。

 迎えた2025年ドラフト会議。「かかるかな、とは思っていましたが、2位という順位にはびっくりしました。でもその時、誰よりも喜んでくれたのが小中でした。『は? えぐっ!』って発狂していました(笑)」と笑って振り返る。

 小中はドラフト会議では指名されず、卒業後は社会人・東京ガスから再びプロを目指す。「『先にプロで待っているから』と伝えました。2年後、ドラフト1位とかで入ってくるかもしれないです。負けていられないので、僕がプロで先に圧倒的な成績を残しておかないといけないんです」。親友と交わした約束を胸に、ホークスでの活躍を誓った。

(森大樹 / Daiki Mori)