今年の4月で32歳に…少しずつ芽生えてきた指導者への意欲
鷹フルがお送りする武田翔太投手のロングインタビュー。最終回は、現役引退後の“夢”について語ってもらいました。ホークスでプレーした14年間で、同僚たちと“群れない”理由はどこにあったのか? 指導者という将来を描く中、右腕のビジョンはさらに先へ。はっきりと宣言したのは「日本一」でした――。
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ホークスで過ごした14年間。後輩と自主トレをともにしたこともあったが、自ら“群れる”ようなことはしなかった。「僕も1日の間でやりたいトレーニングが決まっている。24時間は有限だし、僕から誘うことはなかったですね」。プロ野球選手は、1人1人が個人事業主。隣にいる同僚は、ポジションを争うライバルだということを理解していた。
2023年オフ、風間球打投手から弟子入りを志願された時も「1回目はとにかく断りました。本当に一緒にやりたいなら、それでも言ってくるはずなので」。1つ1つの言動に意味を持たせ、後輩との距離感を丁寧に図ってきた。自分の興味と好奇心を信じて、徹底的に貫いてきたプロ意識。ユニホームを着た14年間で数々の選手を目にしてきたことで、心の中に少しずつ指導者への意欲が芽生えてきた。
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続きの内容は
・プロ入り前から大人びていた武田の「指導者の考え方」とは
・後輩にアドバイスをしない武田が持つ「スポンジ理論」とは
・渡米・韓国球界挑戦で武田が知りたい「世界の野球の違い」
後輩に自ら助言しない理由…「人間にはタイミングがある」
「中学の時に、コーチングの本を読んだんです。それは、僕が試合に出たかったから。どうすれば監督が『使いたい』と思うのか、考えて実践していましたね。指導者の気持ちを先に考えて動けば、試合に出られるようになりました」
センスを秘めていたものの、まだまだ荒削りだった中学時代。試合に出場するための“権利”を得るため、指導者がどんな野球を思い描いているのかを理解するようにした。「起用する側」の考えを探り続けるスタンスは「その時から全然変わっていないですよ」。プロ入りした時から、どこか大人びていた原点はこんなところにあるのかもしれない。首脳陣の考えを体現できるような選手であろうとし続けた。
プロ14年間でファーム生活も短くはなかった。自分自身が技術向上するために、多くの知識を身につけた。それを踏まえた上で後輩たちの姿を横目で見守っていたが、自ら助言を送ることはほとんどなかった。「人間にはタイミングがあるので、本当に必要なら聞きに行くはずなんです。だからアドバイスできることもあるけど、心の中に持っておく。求めてもいない人に対して、自分から言うのは違うので」。その言葉に、武田が抱く“指導者像”が滲み出ていた。
「聞かれてようやく、『何がうまくいかないの?』ってこちらから質問をする。僕は、人間が吸収するタイミングはスポンジと同じだと思うんです。乾いて初めて、水を吸収する余地ができる。方向性を決めて、自分から積極的に頑張っている時に、余計な情報を与えてしまうと逆効果になる。やることを全てをやって、それでもどうすればいいかわからなくなった時に、指導者側が明確な答えを持っておけばいい。それが全てではないけど、14年やってきた中で『こういう段階を踏めばいい』っていうのは自分の中であるので」
実現するのは何年後?思い描く指導者としてのビジョン
「自分が楽しいと思えている間はやりますよ」。ホークスから構想外通告を受け、キャリアの岐路に立たされたが、引退という選択肢は全くなかった。まだまだユニホームを着続けるつもりだが、思い描いているビジョンはある。「どこかのチームのコーチというよりは……」。続けて口にしたのは、“日本一”を目指す壮大な夢だった。
「相手が指導を求めるタイミングを無視したくない。だから、『あなたのタイミングで学びにおいで』っていう施設を自分で作ってみたいです。僕の頭の中にある情報量、伝える能力、指導者としての価値を、そこでコーチとして見せられたら。日本で横並びしないくらいの施設を作ることが目標です」
コーチというよりも、“先生”と呼ぶ方が理想には近いのかもしれない。やると決めたら突き進む。右腕ならいつかきっと、思いを実現してくれるはずだ。昨年に引き続き、今オフも渡米してトレーニングをする予定。日本で多くの経験を積んできた男が選んだ次なるステップは、韓国球界でのチャレンジだ。「国々で野球は違うし、これでもしメジャーまでいけたら、世界のほとんどの野球を知ることができる。それはそれでまた面白いですよね」。少年のような笑顔で語った32歳。武田翔太の夢は、ここからまた走り出す。
(竹村岳 / Gaku Takemura)