悔し涙は「記憶から消した」 14年間貫いた笑顔という信念…武田翔太を変えた1冊の本

笑顔でインタビューに応じる武田翔太【写真:竹村岳】
笑顔でインタビューに応じる武田翔太【写真:竹村岳】

2011年12月の入団会見「セールスポイントは笑顔」

 鷹フルがお届けする武田翔太投手のインタビュー、第3回のテーマは「最初から最後まで笑顔を貫いた理由」です。韓国プロ野球・LLGランダーズへの移籍が決まった右腕。中学時代に出会った“偉人の名言”が、唯一無二の姿を作り上げてくれました。

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 14年前、新人選手の入団会見で武田が発した言葉をどれだけの人が覚えているだろうか。「自分のセールスポイントは笑顔です」。あどけない表情で語ったドラ1右腕。プロ初登板となった2012年7月7日の日本ハム戦(札幌ドーム)で6回無失点と好投し、白星を掴んだ時も19歳のルーキーは常にマウンドで笑みを浮かべていた。

 その後は度重なる怪我もあり、1年以上のリハビリ生活も経験した。戦力構想外の通告を受けた時も「何回転んだとしても、自分が納得できるまで立ち上がればいいだけですから」。通算66勝を誇る右腕の道のりは、決して平坦ではない。それでも、ホークスを去る最後まで笑顔でいられたのは、武田なりの信念があったからだ。

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続きの内容は

・実践する「たった3つの言葉」とは
・48敗の悔し涙を「消した理由」
・「野球を嫌いに」ならなかったワケ

ある1冊の本…「確か松下幸之助さん」

「笑うのは元からなんです。中学の時、エラーした味方にカリカリしていたら、チームの空気が悪くなってしまって。『これじゃいかん』と思ったのがきっかけです」

 中学校から本格的に野球を始めた。ポジションは“消去法”で投手になった。自分が投げる1球で試合が動く。周囲のプレーに気持ちを左右されてはいけないと気がついた。「逆の立場だったら、ピッチャーが怒っていると守りにくいじゃないですか。そこでメンタルの本を買いに行ったんです」。興味を抱いたら、すぐ行動に移す。プロ入り後も大切にし続けた笑顔のルーツは、ここにある。

「いろんな本を読むようになって、ある一冊に出会ったんです。確か松下幸之助さんだったかな。『起こったこと全てにありがとう』って書いてあった。『ついている』『ありがとう』『感謝します』。この3つの言葉を全ての物事に当てはめなさい、と。それを実践し始めたら自分の動きも良くなったし、(味方のプレーに)悪いことは何も思わなくなって。失敗したとしてもすぐに切り替えるようになりました」

48個の黒星…悔し涙は「記憶から消しています」

 偉人の名言が自分を導いた。マウンドで感情を見せていた右腕が、笑みを浮かべるようになった。「いきなり笑い始めたから『あいつ大丈夫か』ってなっていましたね(笑)。でも、それを続けたんです」。最初は戸惑っていた周囲の反応も含めて、懐かしそうに振り返る。腑に落ちたことは、とことん継続する。それも武田が持つ最大の強みだ。

 ホークスで66勝を挙げた一方で、48敗を喫した。挫折も多い14年間だった。悔し泣きした経験を尋ねると、「あるとは思いますけど、記憶からは消しています!」ときっぱり。ひょうひょうとしているように見えるかもしれないが、心は誰よりもポジティブだ。「『落ち込めよ』って思われるかもしれないけど、その時間がもったいないですから。エラーがあったとしても、1秒とか2秒で次の改善策を探す。そういう考え方になりました」と繰り返した。

 今年4月で32歳となった。年齢を重ねるにつれてマウンドで笑みを浮かべることは少なくなったが、心から野球を楽しむ気持ちは今も変わっていない。「ホークスにいた時間で、野球を嫌いになることもあるのかなと思ったし、そんな出来事もたくさんあったと思う。でも、嫌いにはならなかった。だからこの先も一生ないと思う」。大きな重圧と期待を背負いながら、笑顔という信念を貫いた14年間だった。

衝撃の打球、肋骨直撃「死んだと思った」 唯一思い出す…武田翔太の根性のルーツ

ホークスを去る武田翔太投手に迫る連載の第2回。今回のテーマは、その精神的な強さを支える「根性の原点」です。14年間のホークス生活で「このプレーが一番覚えている」と唯一、脳裏に鮮明に焼き付いている場面がありました。それは、2020年9月5日のロッテ戦。命の危険すらあった衝撃のピッチャー返し。なぜ絶体絶命の状況でマウンドに立とうとし続けられたのか。ホークスを去る今、そのルーツとなった猛練習の日々を初めて明かします。 続きを読む

(竹村岳 / Gaku Takemura)