鷹フルのロングインタビュー第1弾…カーブの原点
鷹フルは、ソフトバンクから戦力構想外通告を受け、韓国プロ野球・SSGランダースへの移籍が決まった武田翔太投手をインタビューしました。第1回のテーマは、苦楽をともにした“相棒”でもあるカーブについて徹底的に紐解いていきます。“魔球”が生まれた意外な理由、そして感覚が狂った決定的な瞬間――。「めっちゃ悩んでいましたよ」。今だから打ち明けられる苦悩を口にしました。
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本格的に野球を始めたのは、中学校だった。今では器用さが武器な右腕だが、当初は苦労した。「内野からやってみて、全部ダメ。外野もバンザイしちゃって、そんなやつがキャッチャーとかできるわけないじゃないですか。全部試してどこもできなくて、ピッチャーをすることになりました」。プロの世界で通算66勝を挙げるが、ポジションが決まったのはまさかの“消去法”だった。
そこで初めて覚えた球種がカーブだった。「スライダーも試したんですけど思うように曲がらなくて、そっちの方が投げやすかったんですよね」。長身を生かしたオーバースロー。フォームが固まるにつれて、カーブは自分だけの武器となっていった。そこに影響していたのは、小学校の時に習っていたバレーボールだ。
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続きの内容は
・魔球カーブの原点は、意外にも〇〇〇〇にあった
・右肘手術後に語った「しっくりこない」感覚を〇〇に例えた理由
・直球が「シュート」から「カット系」へ…感覚が“真逆”になった理由
意外な自己分析「カーブが得意とは思っていない」
「バレーのスパイクって、順回転するようにボールの下から巻くように打つんですよ。綺麗な縦回転になるように。だから肘が体から前に出にくいし、打点が高い。そこがカーブに適していたのかなと思いますね」
腕を振り下ろすことは、スパイクの動作で体に染み込んでいた。体よりも前でリリースするのではなく、高い打点で抜くように投げる。独特のオーバースローが、カーブに大きな落差と唯一無二の変化を生んでいた。「中学、高校はもう基本ど真ん中に投げていました。絶対に三振が欲しい時だけ低めに。ワンバウンドを覚えたのはプロに入ってからです」。“決め球”を武器に、その後はドラフト1位指名を受けるまでに成長を遂げた。
野球を始めた時には「曲がらなかった」スライダーに、プロ入り後は自信を抱くようになる。キャリア初登板となった2012年7月7日の日本ハム戦(札幌ドーム)では6回を投げて4奪三振。「(陽)岱鋼さんから三振を奪ったのも横のスライダー。バット(のスイング軌道)との接点が少なかったから打たれなかった。オーバースローで横に曲げるのは難しいんですけど、それを投げられていたのでめちゃくちゃ得意でした」。チェンジアップやフォークにも着手するなど、先発投手としての“幅”を確実に広げていった。
「いまだに『カーブが得意』とは思っていないです。元々手先は器用だから、1つでもウイニングショットを増やせるようにと思ってやってきました。2桁を勝った時、よかったのはコントロール。投げているボール自体は、正直今の方がいいと思うんですけど。あの時は思ったところに、思ったように投げられていました」
2019年に右肘のクリーニング手術「そこが一番」
2015年から2年連続で2桁勝利。誰もがエースの誕生を疑わなかったが、以降は苦しむことになる。分岐点となったのは、2019年オフ。右肘のクリーニング手術を受けたことだ。「そこが僕の中で一番変わったところ。慣れるには時間がかかりました」。繊細な感覚に狂いが生じた決定的な瞬間だった。
「例えるなら、ずっと日本の箸でご飯を食べていたのが、いきなり韓国の平べったい箸を使えと言われた感じ。できるんだけど、なんだかしっくりこない、気持ち悪い感覚でした。肘も綺麗になったのになんでなんだろうと。関節の中のバランスが崩れたのかなと思っています」
それまで右腕の直球はシュートする軌道を描いていた。しかし、手術以降は変化してしまう。「リリースの仕方が変わりました。元々は少し(腕を)内側に捻る投げ方でシュート系だったのが、無意識におかしくなったのかなと」。工藤公康氏が「彼のストレートが少しカットする」と話すなど、メスを入れたことで“真逆”の感覚となってしまった。「それまでは弾くように投げていたんですけど、ずっとボールが手から離れない感じ。なかなかタイミングが合わなくて、コントロールが乱れてしまった」と自己分析した。
2024年4月には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。今年の6月に実戦復帰を果たしたが、感覚を取り戻す闘いは今も続いている。「投げる時に(イメージとは)違う動きをするわけですから、めっちゃ悩んでいました。ボールを引っ掛けることに関しては、今年はもうお手上げでしたね」。次回は14年間のプロ人生で“唯一”、記憶に残っているシーンに迫る。ド根性のルーツは、厳しく接してくれた指導者のおかげだった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)