国内FA権の行使を表明…1軍では7試合に登板して4勝
諦めることだけは絶対にできない。ホークスのために身を粉にしてきた13年間。今度は自分のためだけに、大きな決断を下した。「葛藤なら、毎日あります」――。東浜巨投手は、知られざる苦悩を打ち明けていた。
9日、東浜はみずほPayPayドーム内の球団事務所を訪れ、国内FA権を行使する申請書類を提出した。2025年のレギュラーシーズンは7試合の登板にとどまり4勝2敗、防御率2.51。ウエスタン・リーグでは防御率1.85と、まだまだ戦えることはしっかりと証明してきた。2012年のドラフト会議で1位指名を受け、亜大から入団。2017年には最多勝を獲得した背番号16は「本当にギリギリまで悩みましたけど、やっぱり一番は出場機会。まだまだ投げたいという気持ちがすごく大きいです」と決断の理由を口にした。
今シーズンのほとんどをファームで過ごした。なかなか1軍から声がかからなくても、自分が腐ってしまえば後輩に影響を与えてしまう。“背中”を見せることを強烈に意識した1年だったが「態度に出さない」というのは、口で言うほど簡単ではなかった。さまざまな気持ちを抱えながらも、常に思い浮かべていたのは、お世話になった数々の指導者の存在だった。
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続きの内容は
「お前を怒るぞ」恩師が語った真意とは?
苦悩の1年、支えたエースの助言
2軍で貫いた「勝利への哲学」
後輩の「愚痴を言いたくなる気持ち」はわかる
「葛藤なら毎日あります。自分がどんなふうに振る舞えているのか。僕の場合は高校、大学とそういうふうに教わってきたし、厳しく接してくれた指導者の方々がいましたから」
決して口数が多いタイプではない。これまで積極的に助言をしてこなかったのも、右腕なりに貫いたプロとしてのあり方だった。「『こうしたらいいと思うよ』ってポツリと言ってみたりもしましたけど。僕から全部言うのも違うし、その先はもう気付けるかどうかじゃないですか」。チャンスに恵まれず、前向きになれない後輩の姿も目にしてきた。「もちろん、(若い選手が)愚痴を言いたくなる時もあると思いますよ。それは仕方がないことだけど、1つ言えるのは絶対に誰かが見ているということです」。東浜自身も苦しかったはず。自らに言い聞かせるような、はっきりとした口調が今も忘れられない。
2軍では13試合に登板。ローテーションを守る中で、毎回の登板がアピールであるという認識は抱き続けた。「何かに気付けるかもしれないし、1軍でアクシデントがあるかもしれない。『ノーチャンスや』って言うのは簡単ですけど、それだと得るものも得られませんから」。シーズン終盤に近づくにつれて、残りの登板数を指を折って数えていた。2軍という環境に身を置きながらも、こだわり続けたのはチームの勝利だった。
「やっぱり勝つことに重点を置いていないと。真剣にやるからこそ、課題が生まれると思うんです。2軍だからといって自分の課題を優先して投げてばかりでもいけないし、野球は1人でやるスポーツじゃない。1軍の戦力になるには、どうしたらいいのか。本気で考えていれば、自然と見えてくるものがあるはずです。だから勝敗は大切ですし、負けたとしても勝つために全力でやっているわけだから、課題も、『次こうしよう』って意欲も出てくる。そういうサイクルは大切にしていました」
沖縄尚学から亜大へ…支えてくれた数々の指導者
幼少期から始めた野球。小学校から大学まで、それぞれの舞台で指導者に恵まれた。沖縄尚学高時代、比嘉公也監督から教わったのは「エースは言い訳しない」。マウンド上で気持ちを態度に出さない教えはここで授かった。「そこに関しては厳しく言われましたね。比嘉先生から『お前にはこうなってほしい』っていう愛情だったし、僕自身も変わらないといけないと思えた。自分と向き合えるような言葉の掛け方をしてくれて、今も感謝しかありません」。3年春には全国制覇を成し遂げ、投手としての基礎を学んだ3年間だった。
亜大時代は主将に就任。生田勉監督も厳しい指導者だった。「みんなの前で一番怒られていましたね。でも、それも言われていたんです。『チームのためにお前を怒るぞ』って。個人に対してというよりは、僕を通してチームメートに何かを感じてほしいという思いがあったんだと思います」。自分の背中は見られている。辛い役柄でも率先して務められたのは、強い責任感の証だ。「それでいい方向にいくなら、いつでも怒ってくださいって感じでしたね」と苦笑いで振り返る。
悲願のプロ入りを果たしたが、最初は向かい風ばかり。「1年目が一番しんどかったですね」。ルーキーイヤーの2013年は3勝止まり。悔しさのあまり、2軍戦の先発登板翌日に100球近くを投げ込むことも珍しくなかった。「ドラフト1位、即戦力として期待されたのに、僕も時間がかかったんです」。当時のエースだった攝津正氏の言葉に耳を傾け、愚直に努力を続けたから今の東浜がいる。厳しかった恩師のもとで培われた、決して態度に出さないという美学。多くを語らずとも、その背中に胸を打たれたファンがたくさんいる。
「小学校から大学まで。そのフェーズごとに、素晴らしい指導者の方々といい仲間に巡り会えた。それで自分が成り立っているので。そこに関しては、今はプロ野球選手ですけど、気持ちは昔と変わらないです。これまでの僕のキャリアは、本当に人に恵まれてきました」。ここで歩みを止めるわけにはいかない。お世話になった人たち、そして、自分自身のために――。
(竹村岳 / Gaku Takemura)