右投げ右打ちの内野手…今季非公式戦で打率.283
育成有望株のルーツを紐解く。思い出すのは冬の朝。白い息を吐きながら、父と猛練習に励んだ日々だ。ザイレン内野手は、高卒1年目のシーズンを終え「あっという間でした。いろんな経験ができて、試合を重ねるうちに、どんどん成長していると感じています」と充実感をにじませた。
右投げ右打ち、静岡県出身。日本人の父と、フィリピン人の母を持つ19歳だ。浜松商業高時代には通算29本塁打を記録。昨年のドラフト会議で育成2位指名を受け、ホークス入りを果たした。非公式戦では96試合に出場し打率.283、4本塁打と非凡な打撃センスを発揮。今季3軍を率いていた斉藤和巳2軍監督も「上のレベルのピッチャーや環境に触れることが自信にもなる」と背中を押す。
1歳年上の兄の影響を受け、小学2年生で野球を始めた。「お父さんがヤクルトファンだったので、テレビで山田哲人選手を見ていたのは覚えていますね」。才能が開花した背景には、厳しく育ててくれた父の存在があった。「キツかったですね……」。遊ぶのも我慢し、真っすぐに野球と向き合い続けた日々を明かしてくれた。
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続きの内容は
ザイレン選手が語る、父との壮絶な朝練秘話
プロへの夢を決定づけた、恩師との出会い
支配下登録へ向けた、現在の課題と成長
厳しかった父…午前7時には始まっていた“朝練”
「小さい頃は父と兄と3人で朝のトレーニングをやった記憶があります。今はそんなことないですけど、昔は厳しかったです。逃げ出しそうになったこともありますが、なんとか耐えて頑張りました」
学校へ行く前の午前7時にはトレーニングを開始。ランニング、素振り、キャッチボール。雨が降れば「家の中で体幹をしていました」と、父との“朝練”は1日も欠かさなかった。
記憶に刻まれているのは、ある冬の日だ。「まだ太陽も昇る前で、父がスマートフォンのライトで足元を照らしていたんです。その光の中で、僕と兄は階段ダッシュをしていました」。白い息を吐きながら流した汗。脳裏に焼き付いたその光景こそ、ザイレンの原点だ。
年頃の少年なら、野球以外のことに興味を持つこともあるだろう。「小学校の時は、友達と遊ぶのは『本当にたまに』というレベル。とにかく野球という感じでした」と苦笑いで振り返る。逃げ出したくなるほど厳しい日々だったが、そのおかげで基礎体力はつき、「足も速くなったんじゃないですかね」と、メキメキと力をつけていった。
高校時代に出会ったのは元プロの指揮官
浜松商業高に進学すると、ぼんやりと抱いていたプロへの思いが明確な目標に変わる。きっかけは高岸佳宏前監督との出会いだ。元近鉄の捕手だった指揮官の言葉に、夢は大きく膨らんだ。
高1の冬には「プロになりたいです」という意思をはっきりと伝えた。「自分の夢なので、恥ずかしい気持ちはありませんでした。その時はまだ体も細かったので、『まず体作りだな』と言われました」。目標を叶えるため、生活は一変した。
それまで自宅通いだったが、野球部の寮に入ることを決意する。「寮生活は大変そうだと思ったんですが、プロに行くならそういう環境にするべきなのかなと」。特に印象的だったのは、夜の食事だ。「すごく大きいどんぶりにご飯がパンパンに盛られていました。米の量を自分たちで計って、毎日1キロ……。とにかくたくさん食べていました」。高岸監督と約束した体作り。今ホークスで見せる力強いスイングは、こうして少しずつ培われた。
「3年生の春に、自分の担当スカウトの宮田(善久)さんが見に来てくれるようになったんです。それで『もしかしたらプロに行けるんじゃないか』と思えて、より一層頑張れるようになりました」
昨秋のドラフト会議当日。プロ志望届には、育成指名を受けるかどうかの意思を記入する欄がある。「どんな順位でもプロに入りたいと思っていたので、育成からでも勝負するつもりでした」。決意は固まっていた。数時間の緊張が続き、ついにホークスから名前を呼ばれた。「『あ、こんな感じなんだ』と思いました。ずっとドキドキしていました」。1つの目標を達成した瞬間だった。
今は支配下登録という次の目標に向かって鍛錬を積む毎日だ。「この1年で、バッティング面は少し良くなったと思います」。無限の可能性を秘めた19歳、ザイレンのこれからに注目だ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)