金木犀が呼び覚ます野球の原点
本気の覚悟が伝わってくる行動だった。今年3月にトミー・ジョン手術を行い、懸命なリハビリを続けている長谷川威展投手。10月9日に球団から来季の支配下選手契約を結ばない旨が通告され、来季の育成契約を打診された。
しかし、その表情に曇りはない。「覚悟はしていました。契約があることが一番ありがたいです」。そう語り、再び支配下選手として1軍のマウンドに戻る日を真っすぐに見据えている。苦しいリハビリ生活の裏で、左腕の心と体には確かな変化が起きていた。そのきっかけは、8月に下したひとつの決断だった。
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続きの内容は
・長谷川の体脂肪率が激減した理由
・筑後移住でQOLが「爆上がり」したワケ
・金木犀の香りが呼び覚ます野球の原点
「リハビリに専念するために」。そう決意し、長谷川は福岡市内から、ファーム施設がある筑後近辺に居を移した。この引っ越しが、野球人生に何をもたらしたのか。「人って3か月目から体に変化が表れるんです」。その言葉通り、この3か月で左腕は劇的な変化を遂げ始めていた。
3か月で体脂肪率5%減「QOLが爆上がりしてる」
「8月1日から本気で体と向き合い始めました。朝に有酸素運動を始めるようになって3か月になったんですけど、会う人会う人に『シュッとした』『体が大きくなった』と言われるようになったんです」
変化は、まず体に現れた。ファーム施設に早朝から足を運び、朝食前に30分のウォーキングをほぼ毎日欠かさず続けた。その結果、体脂肪率は18%から13%に減少。周囲も気づくほどの変化だ。「目標は12%。自分の体が実験台というか、12%でどんな感覚になるのか試してみたい」。未知なる自分との出会いを密かに楽しみにしている。
この肉体改造を支えているのが、引っ越しによる環境の変化だ。「なんと言っても近い。QOLが爆上がりしてる」と笑顔がこぼれる。「『きょうは練習で何をやってみようかな』と、頭の中を整理してから練習に入れるようになりました」。練習への集中力は、引っ越し前よりも間違いなく高まっている。
「3歩進んで2歩下がる」リハビリと“野球の原点”
もちろん、リハビリは平坦な道のりではない。左肘の状態は「一進一退です。良い時もあれば悪い時もある。3歩進んで2歩下がるような感じです」と、今なお探り探りの日々を送る。それでも、「うまくいけば来年の4月頃には実戦で投げたい」と復帰へのビジョンは明確だ。
「練習とかはすごく充実しています」。苦しいはずの毎日だが、そう語る表情は清々しい。壁を乗り越えた先に待つ“新しい自分”への期待が心を奮い立たせる。
そんな筑後での生活に、彩りを添える瞬間がある。秋風に乗ってふと香る、金木犀だ。「中学の頃、ちょっと寒くなってきた早朝に自転車を漕いで練習場に向かった、あの朝を思い出します」。それは、遊び心を忘れない純粋な日々。野球の原点ともいえる記憶だ。
「今は真剣に野球に向き合うからこそ楽しい。遊び心とは違う、真剣にやるスポーツの楽しさみたいなのはあります。たまにはこういう山や壁と向き合わないといけない。全くうまくいかない時でも、逆に楽しいと今は感じます」
時には、金木犀の香りに誘われて夜に散歩をすることもある。覚悟の移住から3か月、心身ともに研ぎ澄まされ、新たな自分に出会うための歩みを着実に進めている。淡い記憶と野球の楽しさを胸に、長谷川はこの秋を過ごしている。
(飯田航平 / Kohei Iida)