「申し訳ないと思っていることがある」 有原航平、3年目の告白――ずっと語らずにいた仲間への想いとエースの責務

有原航平【写真:古川剛伊】
有原航平【写真:古川剛伊】

私たちの知らない「福岡ソフトバンクエース・有原航平」

 私たちは有原航平のことを知っているようで、よく知らない。

 この3年間、ソフトバンクで最も勝利を積み上げた投手。先発マウンドに69回上がり、もたらした白星は38個。それでも、彼の素顔を語れる人は多くない。

 ヒーローインタビューに立つと「しっかりと投げられて良かったです」などと感情に色をつけないコメントが目立つ。メディア出演も少なく、翌朝の新聞を読んでも談話は降板時の広報発表のものだったりする。

 なぜか。

「野球に集中したい。それが一番です。どれだけ野球がうまくなれるか、本当に勝ちたいという気持ちでこのチームに来たので」

 ファンの想いが届いていないわけじゃない。派手さを嫌い、結果で語る職人気質。だから、私たちの知らないソフトバンク3年間の物語がある。

 よもやの2軍生活から2年連続最多勝、そして日本一へ。「申し訳ない」と思っている相棒、「若い頃の自分よりすごい」と感じる後輩、「会えて良かった」と感謝している盟友――。

「鷹フル」のインタビューで初めて打ち明けた、そのすべて。

会員になると続きをご覧いただけます

続きの内容は

・有原が「申し訳ない」と語る相棒捕手への真意
・有原が「すごい」と絶賛する若鷹の名前とは
・エース有原が「欲しい」と願う意外な投球術

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 2023年1月28日、福岡市内のホテル。

 2年間のメジャー生活を経て、背番号17のユニホームに袖を通した有原は、入団会見で決意を述べた。

「ルーキーのような気持ちでがむしゃらに。優勝に貢献できるように一生懸命投げるだけ」

 船出は予期せぬものだった。

 開幕を迎えたのは2軍。直球が140キロに満たない試合があった。「あれはスピードガンがおかしかっただけ」と笑う。体はどこも悪くないのに、通うのはタマスタ筑後。「早く上で投げたい。いつでも準備はできている」

 6月の交流戦でようやく1軍から声がかかる。初登板の本拠地DeNA戦で7回途中1失点と好投、2戦目で移籍後初勝利。7月にはチームの連敗を12で止める殊勲の1勝を完封で挙げ、3か月ちょっとで勝利は「10」を数えた。

 本人の回顧にプライドが滲む。

「メジャー1年目(2021年)の肩の手術後に『ちょっと違うな』という感覚があり、2年目は打たれたけど、最後には自分の中で『ああ、これだな』と掴んでいた。1軍に上がってから急に調子が良くなったとかではなく、いつも通りに投げただけです」

最多勝を掴んだ飛躍の2年目、「すごく悔しかった」と語る出来事

 その言葉を証明するように2年目は開幕投手を任され、14勝で最多勝。

 ただ、いつも淡々と言葉を紡ぐ右腕が「すごく悔しかった」と強調語を添え、振り返るのがDeNAとの日本シリーズ。敵地で2連勝しながら、本拠地に戻ってから4連敗した。

 初戦7回0封で勝利を挙げた有原も第6戦で3回4失点。チームの空気は「いける」だったが、失った流れを引き戻せず。3戦目が分水嶺になった。

「福岡に戻っての1試合は何かが違った。僕もみんなも、気が抜けているわけじゃないけど、1、2試合目と同じ集中力だったかというと……。ホークスは日本一の先に、孫さん(孫正義オーナー)が言う世界一を目指す立場。だからすごく悔しかったし、来年こそ、と」

 この年から呼ばれ始めたエースとして、悔しさをぶつけた今季。再び14勝を挙げ2年連続最多勝に輝いたが、ひとつの後悔が……。

 開幕投手を任されながら不安定な投球が続き、初勝利が訪れたのは4月25日の敵地・楽天戦。復調のきっかけを掴むと6月から破竹の8連勝を飾った。

 春先は最下位に沈んだチームの逆襲の旗手となり、連覇へ牽引した。ただ――。「申し訳ないと思っていることがあるんです」。こちらからの問いかけではなく、自ら切り出した。

 谷川原健太のことだ。

開幕2試合でコンビ解消「あの時に勝てていたら、きっと…」

「僕と開幕から2試合組んで、結果が出せず、ファームに行ってしまった。思うところはあります、やっぱり。あの時に勝てていたら、きっと何か変わっていたと思う」

 甲斐拓也が抜けた今季、誰が扇の要を埋めるかは球団の最も大きな懸案の一つ。

 有原も開幕前から谷川原はもちろん、海野隆司渡邉陸嶺井博希と1軍候補全員に受けてもらった。意思疎通を深め、誰と組んでも問題ない。結果的にシーズンの大半を組んだ海野にもたくさん助けられ、感謝している。

 ただ、開幕直後の不振の原因はあくまで自分にあった。3度目の登板から交代した事実だけを切り取ると、谷川原との相性が問題だったように取られる。「そう思っている人もいると思う。でも、それは違う」と有原は断言する。

「僕がちゃんと投げられたら抑えているわけで、完全に僕のせい。本当に申し訳ない」

 6月に1軍復帰した谷川原には「今のどうだった?」とベンチ内で意見を交わし、登板に生かした。エースのパートナーを務められるかは捕手の評価の材料。それを理解しているから、ズルズルと沈むわけにいかなかった。

 こうして3年間でリーグ優勝2度と日本一1度を経験。入団会見で「強いチームでプレーできることが楽しみ」と言った。実際に内側で触れたソフトバンクの“強さ”の輪郭とは。

「若手がすごいですよ。4軍でも荒削りだけど150キロを投げるし、すごい素材がたくさんいる。人数が多いから競争意識も強い」

 そんな中で一人、「自分が若い頃と比べても全然違う」と一目置く若手がいた。

前田悠伍なんかすごいですよ」

「会えて良かった」と語る戦友…「僕はあのピッチングが欲しい」

 高卒3年目の左腕は全体練習前、朝早くから汗を流す。「練習の内容もすごく考えていて。20歳とは思えない。自分が20歳の時なんて全然でしたから」と目を見張る。

 オフに自主トレを受け入れた松本晴もそう。「ポテンシャルはすごいし、技術は心配していない。1年間完走したことがないので(助言は)自分の体を知ることだけ」

 ピラミッドの頂点にいるエースからすると、立場を脅かすものではない。だが、有原は成長の渇きは尽きず、3、4軍の若鷹に接し「自分ももっと」と刺激につなげる。

 超一流の共鳴も常勝軍団の特権。「僕はモイネロと会えたことがすごく良かった。あんな朗らかでマイペースな雰囲気だけど、よく考えていて。よく話すし、勉強になります」と明かす。

「モイネロは『有原さんみたいなピッチングをしたい』と言うんです」

 先発2年目、球数を減らすことが課題。巧みな出し入れでイニングを稼ぐ有原は、確かに良いお手本だ。ただ、逆に有原は真っすぐで押し、狙って三振を奪い圧倒するモイネロに思う。「僕はモイネロのピッチングが欲しいです(笑)」

 関わる相手が若手でも助っ人でも、立場、年齢、国籍に関係なく「野球をもっと上手くなりたい」の一点で繋がっている。この関係性こそ、3年間でもらった最大の財産のひとつ。

 そんな野球への真摯な姿勢は選手やスタッフも認めるところ。

 ハーフパンツが解禁された練習でも、マウンドに上がる時は必ずユニホームに穿き替える。「ペイさん」の愛称で慕われ、序盤で打たれてもエースとしてイニング数にこだわる。

 登板日は自然と「勝たせよう」という空気になるという。防御率が規定到達13人で11位の3.03ながら獲得した最多勝も、それと無関係ではないだろう。

 取材者目線でも、学生時代から知る筆者はメジャー挑戦前、東京・中目黒の弊社でインタビューをお願いすると、「これ、皆さんで食べてください」と菓子折り片手に電車で来た。

 勝つことに貪欲で、仲間には誠実で、実直で、自分に一番厳しい。彼は、そんな人だ。

「成長と勝利」を求めて入団から3年、辿り着いた場所

 寡黙な右腕は「どれだけ上手くなれるか、勝つことができるか」を求め、やってきた。

 あれから3年。

「技術のこともトレーニングのこともよく話す。みんな自分の中の『これ』というものがある。先発・中継ぎも関係ない。良い関係を築けて(ソフトバンクの環境は)すごく面白いです」

 勝つこと、学ぶこと、そして「申し訳なさ」に駆られるほど仲間を想うこと。すべてがひとつになって、福岡ソフトバンクホークスのエースがここにいる。

 数字や記録では測れない。有原航平の3年間は、静かな情熱で紡がれた物語である。

(神原英彰 / Hideaki Kanbara)