中村晃が語る努力…自らを作り上げた“3つの要素” プロ野球は「友達作りじゃない」

中村晃【写真:古川剛伊】
中村晃【写真:古川剛伊】

記念球も手元に…「戻していただきました」

 努力の男がたどり着いた1つの節目。思い出すのは、打席の中ではどんな時も「孤独」だったことだ。プロ通算1500安打を達成した中村晃外野手は笑みを浮かべながらダイヤモンドを回り、記念ボードを高々と掲げた。

 1498安打で迎えた26日の楽天戦(弘前・はるか夢球場)。2回に右前打を放つと、歓喜の瞬間は8回2死に訪れた。右腕・江原の直球を振り抜くと、打球は右翼席に着弾する3号ソロ。「僕らしくない」と照れ笑いしたが、会心の放物線で記録に花を添えた。記念球も「戻していただきました。ありがとうございます」。青森まで駆けつけたファンに、感謝の思いを口にした。

 2007年ドラフト3位で帝京高からプロ入りし、初安打を放ったのは2011年5月10日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)。ゴロで三遊間を破るタイムリーだった。寡黙で絶対に妥協しない男から、印象的な言葉を聞いたことがある。「努力っていうのは……」――。

本塁打を放つ中村晃【写真:古川剛伊】
本塁打を放つ中村晃【写真:古川剛伊】

「1球、1打席をいかに集中して入れるか」

「努力っていうのは、通算で残した成績だと思っているんです。もちろん積み重ねなので、難しいところなんですけど。自分を作ってきてくれたのは、努力と出会い。いろんな人に出会えたおかげだと思います」

 そう語った背番号7はさらに続けた。「あとは運です。それも自分で手繰り寄せないといけないので」。数々の指導者を筆頭に、お世話になった人への感謝は尽きない。「野球に没頭すること。1球、1打席をいかに集中して入れるか。単純かもしれないですけど、それは大事なことだと思ってやってきましたよ」。結果を出すことが、恩返しになる。野球と真摯に向き合い、徹底的な準備を貫いてきた。

 自分を作り上げたのは「孤独」だった。若手時代、自主トレをお願いしたのは小久保裕紀監督と長谷川勇也R&Dグループスキルコーチ(打撃)の2人だけ。以降は毎年のように一人でオフのトレーニングを積み重ねてきた。「まずは先輩にやり方を教えてもらう。そこからは自分なりに見つけられたのかなと思います」。打席では誰も助けてくれない――。この世界で何を成し遂げたいのか、見失ったことは一度もない。

「(プロに)友達を作りに来ているわけじゃないので。そういう意識はずっとありましたね。自分がダメだったら去らないといけない。活躍すれば認めてもらえるし、お金ももらえる。この年でも(自分にも)ダメなところは全然あるしね。怒られることが少なくなってきたからこそ、怒ってくれる人を大切にしたいなと思っています」

栗原、柳町らにも伝え続けた「自分で上手くなれ」

 栗原陵矢内野手や柳町達外野手ら、後輩から自主トレへの同行をお願いされることが増えた。伝え続けたのは「自分で上手くなれ」。道を切り開けるように力を貸したが、“差し伸べた”つもりはない。「だって、自分の感覚は自分しかわからないと思うし。もちろん聞かれれば答えますけど、何もないのに教えるのはあんまりしたくないというか……。違うんじゃないかなって僕は思います」と言い切る。

「特にレギュラーを取るまでは(一人の時間は)大事なことじゃないですか。自分のスタイルとか、どうやったら上手くなれるかを自分で考えないといけない。人に助けてもらってばかりいると、引き出しも増えない。もちろん1年目とか、やり方がわからない人は教えてもらわないといけないですけど、僕は一人でやった方が上手くなるんじゃないかなと思ってやってきました」

 中村自身も、プロ入りしてすぐ壁にぶつかった。「ピッチャーの球は速いし、守備ひとつにしても本当に基本を大事にする世界。高校までは順調で、(世代の)トップでやっていた感じでしたけど。プロに入って初めての感覚ですよね。自分よりも上手い人を見て、もっとやらないといけないと思いました」。4年目の2011年に1軍昇格したが、わずか8安打。「こてんぱんにやられた」ことで、反骨精神はより強くなった。積み上げた1500本の安打は、孤独に打ち勝ってきた自分だけの勲章だ。

 周囲に支えられながら、自分自身の力で道を切り拓いていた。「今年中には絶対に達成したかった。10本を切ってからは長かったですけど、楽しかったですね。また新たな目標を設定していかないと」。大切な人たちのために。中村晃はこれからも、左打席に立つ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)