沖縄にとって「高校野球は特別なもの」 母校の全国制覇…東浜巨が胸を打たれた深い背景

東浜巨【写真:加治屋友輝】
東浜巨【写真:加治屋友輝】

母校の沖縄尚学が全国制覇、球団を通じて「感動をありがとう」

 目頭が熱くなったのには、たくさんの理由がある。県民の思いが成就した歓喜の輪を眺め「頑張っている姿を見て、心を動かされました」と語ったのは、東浜巨投手だ。

 第107回全国高校野球選手権大会の決勝が23日に甲子園球場で行われ、沖縄尚学が初優勝に輝いた。東浜は2008年選抜大会で同校のエースとして全国制覇を経験。母校の躍進に、球団を通して「後輩たちの頑張りは、沖縄の野球をさらに盛り上げ、沖縄県民に活気を与える素晴らしい偉業です。本当におめでとうございます。そして感動をありがとう」とコメントしていた。

「本当にその通りです。先輩としてというよりも、純粋に沖縄県民として」。大好きな故郷に歓喜をもたらした。“感動”という表現は、心からの本音だった。「重く言えば沖縄の歴史を背負っている、じゃないですけど……」。後輩たちの姿に、自分自身の経験を照らし合わせていた。

戦後80年という節目…比嘉公也監督も口にした感謝

「やっぱりそういう特別感はある。他の県の方とはまた違うと思います。単純な学生の試合という(領域)ではないし、だからこそ沖縄県民の思い出が甲子園にあるのかなと思っています。僕たちは、そうやって育ってきたので」

 戦後80年という節目。チームを率いた比嘉公也監督も「巡り合わせの年に出場させていただいた。こういう大会自体、平和だからできていることだと思う。高校野球だけじゃなく、全ての高校生の生活が当たり前にできることを祈るばかりです」と口にしていた。戦争の記憶が身近にあるからこそ「平和」という言葉が重く響く。

 沖縄代表として初めて夏の甲子園に出場したのは、第40回大会にあたる1958年。時は流れ、県勢初優勝は1999年春の沖縄尚学だった。東浜も「戦争のことであったりとか、歴史的な背景にも沖縄の人たちが抱えている思いがあるんです。そういう意味でも高校野球は沖縄では生活の一部だし、特別なもの」と言葉を選んだ。一言では表せない思い――。だからこそ全国制覇は悲願であり、1人の沖縄出身者として心を打たれた。

全国制覇を成し遂げた沖縄尚学ナイン【写真:加治屋友輝】
全国制覇を成し遂げた沖縄尚学ナイン【写真:加治屋友輝】

沖縄尚学の3年間「ピッチャーの基礎を教わった」

「ピッチャーとしての基礎は、全部高校で教わった」と東浜は振り返る。比嘉監督から授かった教えは「エースは言い訳しない」だ。今季でプロ13年目。どんな展開になっても態度に出さず、絶対に最後まで諦めない右腕のルーツは青春時代にある。

「そこに関しては厳しく言われました。ちょっとでも(態度に)出そうものなら、練習試合先のグラウンドから走って帰ったこともあります。あの時から思っていましたけど、今となれば比嘉先生の『お前にはこうなってほしい』という愛情だったなと強く感じます。本当にありがたいとしか思わなかったですし、僕自身も変わらないといけないと思えた。自分と向き合えるような言葉の掛け方をしてくれていたので。それぞれタイプがあるし、感情を表現してもいいと思うけど、僕にはそれが合っていました」

 23日に行われた決勝戦の試合開始は午前10時だった。「それに合わせて起きて、最後まで見ていました」と明かす。マウンドではクールな表情を貫く右腕だが「普通に部屋でガッツポーズしていましたよ。優勝してくれて、目頭が熱くなりました」と思いを吐露した。9回1死一、三塁のピンチを迎えたが、最後は遊ゴロ併殺。この結末にも“沖尚野球”が詰まっていると東浜は言う。

「最後の最後まで守備力が光ったチームだなと。ピッチャーを中心にして、守りが固いっていうのは、僕らの前の世代からずっとそうでした。それが一番に出たラストシーンでしたね。日頃めちゃくちゃ基礎的な練習をしてきたんだろうなって。そんな姿があのプレーに垣間見えましたし、伝わってきました。引くようなエラーもなかったし、本当に沖尚の野球をしていたと思います」

 比嘉監督とはLINEでやり取りをした。「月並みの言葉ですけどね。ちゃんと返事までしていただきました。あとは、学校関係者にも一通り連絡はしました」と、最後まで優しい表情で母校への思いを口にした。恩師と後輩たちに、何度だって伝えたい。「感動をありがとう」。

(竹村岳 / Gaku Takemura)