5試合に登板して無失点も2軍降格「新しい経験」
自分自身の課題と、先輩の偉大さを痛感した。プロのマウンドで苦しんだことさえ、初めての経験。声をかけてくれたのが、牧原大成内野手だった。
「こんなに応援してもらうことが本当になかったので。めちゃくちゃ新鮮でしたし、こんな世界なんだなって思いました」。充実感とともに悔しさをにじませながら、1軍にいた期間を振り返ったのは川口冬弥投手だ。育成ドラフト6位で四国IL徳島から入団。6月20日に支配下登録されると、そのまま1軍に昇格した。5試合に登板して防御率0.00ながらも、7月18日に登録を抹消。2軍から再スタートを切ることになった。
牧原大から熱い思いを受け取ったのは、7月17日のロッテ戦(北九州)だった。同点の6回から登板したが、上田に右翼席への2ランを被弾し“プロ初失点”を喫した。結果的に試合は雨天コールドとなり、記録には残らなかったが、2点を勝ち越された際、すかさず背番号8がマウンドまで声をかけにきた。間(ま)を置くためだけではない。明らかに、何か伝えたいメッセージがあるような雰囲気だった。川口が回想する。
“プロ初失点”の直後…牧原大成がかけた言葉
「『こういうことは野球人生で絶対にあるし、気にすることじゃない。切り替えて、次のバッターに全力でいくだけやから』って前向きな言葉をかけてくれました。『誰にでもあること』って目を見ながら強く言ってもらったので『そうだよな』って思いながらいきました」
マウンドで自分を見失ってしまう感覚は、投手にしかわからない。冷静でいられなくなりそうだった中で、先輩からかけられた言葉。「心強かったです」と深々と感謝した。「自分でもいつかそういう場面が来ることはわかっていたんですけど、いざマウンドにいると独りな気がして……。1軍だと歓声もすごいから、余計に周りが遠く感じる時があるんです。でもすぐに牧原さんが声をかけてくださいましたし、『独りじゃない』って思えました」。
牧原大も「川口に関しては、これまでができすぎていたと思うし。『こういうこともある』っていうのはしっかり伝えました」と明かす。川口は高校、大学とほぼ公式戦登板の経験がない。育成入団から這い上がったバックボーンは、自分自身にも重なる。「それ(だから頑張ってほしいという思い)もありますけど、支配下になったらもうここから自分がどうやっていくか。もちろん守ってあげなきゃいけないですけど、僕らも必死なので」と力を込めた。
プロ15年目を迎えた32歳。当時ファーム施設があった雁の巣で汗と泥にまみれ、2年目だった2012年に支配下登録を掴み取った。「今の時代と、僕らでは全く別。今は育成選手でも待遇も給料もいいし、環境も揃っている。その中で支配下を勝ち取れなかったら、それはもう自分が悪いだけじゃないですか」。そう言えるのも、圧倒的な努力のたまものだ。2度と味わいたくない3桁時代に、ルーツがある。そんな男が後輩右腕に見せた“優しさ”だった。
口にしてきた育成への苦言「今は給料も環境も揃っている」
ファーム施設は筑後市に移り、環境はすっかりと変わった。川口にとって「育成」とはどんなルーツなのか。
「牧原さんや大関(友久)さんも、育成って言われないとわからない人がホークスには多いですよね。(育成も支配下も)『関係ない』ってあの人たちが言うから、ほんまにそうだよなって思えます。大関さんも、僕がまだ育成だった時に『支配下になることが目標じゃなくて、もっと先に目指すところを持っておかないと』っていう話をされたことがあるんです。いざ支配下になっても、その先があるし、1軍で抑えないといけないので。言っていたことが余計にわかりました」
背番号が変わって1か月以上が経過した。右腕も、足元を見つめ続ける。「ふとテレビで自分が投げている姿を見た時に、数年前まではYouTubeで見ていたようなバッターと対戦している。まだ自分が一番信じられていないというか、全然追いついていないところもあります」。初心は絶対に忘れない。当然、ここから成り上がって自分だけの立場を築いていくつもりだ。
小久保裕紀監督は右腕の2軍降格を決断した際に「良い時からストレートの球速が落ちていた」と理由を語っていた。川口本人も「パフォーマンスのクオリティが下がっていたのはわかっていた。新しい経験になりましたし、絶対に生かしていきたいです」と認めながら今後を見据える。挫折を乗り越え、這い上がってきた。そんな男たちの熱い気持ちが、必ずホークスを支えていく。
(竹村岳 / Gaku Takemura)