昨年11月13日に国内FA権を行使して、12月17日に巨人移籍が発表された。1か月以上の熟考。決断した時には「辛い」ともコメントした。「多分ですけど苦労しないのはホークスですよ」。あえて新しい環境に飛び込むことで、野球選手としてもう1度成長する。挑戦を選んだことが最大の理由となった。今だから明かせるのは、11月24日のファン感謝祭。スタンドから聞こえてきた声のことだ。
「(FA宣言から)皆さんからいろんな言葉をいただきました。オフになった時も『行かないでよ』って、そういう声も聞こえてきました。FAで出ることにはなったんですけど、たくさんの後押しはしてもらいました」
最後の最後まで迷った1か月。ファンの存在も、大きな要因だった。2010年育成ドラフト6位で、プロの世界に飛び込んだ。どん底から世界一を掴むほどの捕手になるまで、ずっと見守ってくれていた感謝を忘れることはない。「育成から入ってきて、たくさんの人に応援してもらいました。僕は下から上まで経験してきたと思っていますから。その中で大変だった時はもちろんあったし、そういう時に後押ししてくれたのは皆さんの存在です」と頭を下げる。
「福岡でやってきて、ホークスでやってきたから今の自分になれたとも思っています。すごく熱かったなと思いますし、実際に行くとなって、メッセージもそうだけど、応援してくれている方が本当にたくさんいてくれました。ホークスファンの方々らしいなと思います」
“負けん気”だけは人一倍、熱く抱いてきた。2021年の東京五輪、2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では世界一も経験。巨人と契約を結ぶまで、1人のプロ野球選手としてここまで価値を高めることができたが、その道のりは当然、簡単なものではなかった。甲斐の胸には、ファンの応援と同じくらい、心ない声に立ち向かってきた自負も刻まれている。
「どうしてもうまくいかない時は、いろんな言葉を浴びせられたこともありました。キツかったですね、本当に。ドームから出る時も、何か投げられるんじゃないかって怖かったこともあります。まあまあ、仕方ないというか。そういうふうに言ってくる人もファンだとも、それが野球だとも思います」
チームを勝たせてこそ、評価されるポジション。2020年はリーグ優勝に貢献したが、翌年は8年ぶりのBクラス(リーグ4位)に沈んだ。全143試合に出場したからこそ、責任を背負う甲斐の姿を周囲も感じ取っていた。チームメートだった中村晃外野手が「あの時の拓也は特にキツそうだった」と言えば、高谷裕亮バッテリーコーチも「逃げ道がなかった」と代弁する。甲斐自身も「2021年はそういう年でしたね」と、絶対に消えない苦しさと悔しさを語った。
みずほPayPayドームにファンから手紙が届く。「お前の配球が……」「アウトコースばかりになるのやめろ」。1通ではない。何通も、だ。厳しい声も、心ない誹謗中傷も浴びせられてきた。それでも甲斐はあえて自身のロッカーに“批判の手紙”を置き、反骨精神で力に変えた。「極力、そういう人はいなくなってほしいなと思います」と本音をこぼすが、向かい風すら、今の自分を作ってくれたとも思っている。できることなら純粋な声援だけでスタンドが埋まってほしい――。甲斐だから言える、心からの“願い”だった。
巨人移籍が発表されて2か月以上がたった。新しいジャイアンツのユニホームを着て、球春を過ごしている。14年間応援してくれたファンには「たくさんの人が球場で応援してくれた。本当にいい球団、いいファンの方々だと思います」と、今も感謝は尽きない。自身の近況については、足元を見つめながら「どういうふうに言うのが正解なのかな……」。数え切れない思い出があるからこそ、選んだ言葉。顔を上げて“ラストメッセージ”を語った。
「最高の時間だったと思います。ホークスで過ごした、たくさんの時間があったから今の僕がある。応援も、叱咤激励も含めて、そういうものが僕の力になったと思っています。チームは変わりましたけど、今後も絶対に、(ホークスでの過ごした日々が)頭の中から消えることはありません。またいい姿を見せられるように頑張っていきたいです」