和田毅さんの全10回連載がスタート…1時間超のインタビューで明かした“真実”
昨季限りで現役を引退した和田毅さんが鷹フルの単独インタビューに応えてくれました。グラブを置くことを決めた瞬間、涙を流した日、今後の人生について、そして共に戦ってきたチームメートへのメッセージ――。1時間を超える取材で明かしてくれた“真実”を、全10回にわたってお送りします! 鷹フルでしか読むことができない和田毅の「全て」をお楽しみください。
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1月下旬、長崎市で行っている自主トレで現役選手と体を動かす和田さんの姿を見ても、引退したという現実感がなかった。柔和な笑顔も、そのスタイルの良さも変わらない。それでも、キャッチボールを始めると、途端に“残酷な現実”が広がった。「あーっ」「うーっ」……。1球投げるたびに浮かぶ苦悶の表情。わずか3か月ほど前には、何食わぬ顔で146キロのボールを投げていた人物とは思えない「うめき声」。目の前の43歳が限界を超えて戦い続けていたのだと、痛感させられた。
「1日1日、いつ辞めてもいいやっていう気持ちでやっていたので。それが去年だったんだなと。『しょうがねえな』っていうか……。言い方はおかしいですけど、『ようやく辞められる』っていう心境でもあったので。もう練習しなくていいんだなって。これだけやったんだから、もういいやろって」
プロ22年間、43歳まで左腕を振り続けた男が明かしたのは、紛れもない本音だった。野球人生の大きな転機となった2018年の左肩痛。それ以降は常に引き際を探しながらプレーしてきた7年間だった。「ようやく辞められる」。その言葉から左腕が背負い続けてきたものの重さが伝わってきた。
「左肘は3回オペしたし、左肩も痛めたりしてね。若い時に全く想像していなかったことが、年を取ったら一気に来るんだなって。肘を痛めたとしても手術なんかしないだろう、肩だって絶対に痛めるはずがないと思っていたので。『肉離れなんか誰がするんだよ』『どうやったら肉離れするんだろう』と思っていたら、簡単になっちゃうし……。でも、それだけのことをやってきたからなんだなとは思いますね」
球団フロントが2025年シーズンの戦力として考えていたことは事実だ。もしかしたらもう1年プレーできたのでは? その問いかけに本人は笑いながら首を横に振った。「ないっすね。『もしも』がないです。未練は100億%ないですね」。こちらが驚くほどの即答ぶりだった。
プロ20年目を終えた2022年オフのこと。和田はこう口にしていた。「ここから先は“ボーナスステージ”だと思っています」。入団当初から掲げていた現役20年をクリアしたからこそ、たどり着いた境地だった。そこからユニホームを着ること2年。体はとうに限界を迎えながらも、楽しむことはできたのか。
「楽しんだっすね。新しくピラティスをやったり、この年齢で若い子と一緒にランニングをしたりとか……。それでも年々、走るスピードが遅くなったのは分かっていたので。『やっぱり年齢ってあるな』『これはもう、しゃあないな』って。それなら別の部分でどうやって補えるかなと考えていたので。本当に自分にとってもいい勉強になりましたね」
昨年11月5日に行われた引退会見。目を潤ませることもなく、晴れやかな表情が印象的だった。「何を聞かれても泣くことはまずないなと思っていましたね」。そう言い切れたのは、何も思い残すことがなかったからだった。
「やっと肩の荷が下りるというか。長い野球人生のゴールテープを切れたなって。悔いはもちろんないし、むしろ『俺は早くゴールしたいのに、お前はまだゴールすんな』って言われていたような感覚だったので。特にここ5年間というのは、自分の中でそれを探しながら走っていた部分もあって、逆に楽しかったなと。いろんなことを模索して、経験できたので。楽しいことも嫌な思いもたくさんありましたけど、全てが自分にとっていい思い出。本当に良かったなって思います」
担当記者として和田さんを取材し始めたのが2018年だった。かつてテレビで見てきたヒーローは、左肩痛に苦しむ“リハビリの人”だった。おそらく野球人生で一番苦しかったであろう時期でも、真摯に取材に応じてくれた。例えユニホームを脱いでも、その人柄が変わることはない。そう確信できたインタビューだった。
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「バキッ」という音と激痛で目覚める日々。1人のファンもいない中で投じられた“現役最後の1球”。「後遺症が残ったとしても……」。現役引退を決断させた壮絶な戦いとは……。
第2回はこちらから
和田毅が現役を「諦めた」瞬間 苦痛で眠れぬ日々…無人の本拠地で投じた“最後の1球”
(長濱幸治 / Kouji Nagahama)