「遊びじゃないぞ」斉藤和巳監督の喝に涙目 木村大成の“地獄の1年”…味わった屈辱

練習に励む木村大成(左)、ベンチに座る斉藤和巳4軍監督(現3軍監督)【写真:冨田成美】
練習に励む木村大成(左)、ベンチに座る斉藤和巳4軍監督(現3軍監督)【写真:冨田成美】

変わり続けたフォームに「また変わってるやんけ」…約20分の熱いゲキ

 これまでの野球人生で味わったことのない“屈辱”の1年だった。今季4年目を迎える木村大成投手は昨季を振り返り、「1年間ずっと4軍でしたね。ずっとです。悔しいです」と唇を噛んだ。3軍や2軍の試合にも出場していたが、あくまで“参加”扱い。管轄は1年間4軍のままだったという。

 入団して2年間は怪我に泣かされることも多かったが、2024年シーズンはようやく元気にマウンドに上がれるようになった。「今年こそは……」。3年目にかける覚悟を強く持って挑んだにもかかわらず、何もかもがうまくくいかなかった。

「試合で投げるたびにボコボコにされて……。こんなの野球人生で味わったことがなかったので、もう本当に投げたくなくなってしまって。『野球向いてないんじゃないか』って考えたりもしましたね」。飢えていたマウンドだったはずなのに、現実から目をそむけたくなるような日々だった。

 特に思い悩んだのは投球フォームだった。「以前できていたことが、意識してもできなくなってしまって。『なんで?』みたいなことがずっと続いていました」。イメージする形が体現できずに試行錯誤し、投げるたびにフォームが変わった。「何をしているんだ」。自分自身に憤りを感じていた時、斉藤和巳4軍監督(現3軍監督)に厳しい言葉をかけられた。

 4月のことだった。ある日の登板で打ち込まれ、その翌日にブルペンで1人、個別練習をしていた。「『なんか違うな』と思いながら練習していたんですよ。前日の試合のフォームとまた違っていて。その時に見られていた和巳さんから『また変わってるやんけ!』『1軍の選手でそんなにフォームがコロコロ変わるやついないぞ』って言われて……」。

 強い口調で指摘され、思わず涙目になった。「ちょっと泣きそうになりました。視界がみずみずしくなって……」。その後は2人きりで20分ほど、熱い言葉を受けた。「はっきりと言ってくれる人もいなかったので。ありがたかったですし、悔しかったです」。左腕の胸と目頭は熱くなった。

斉藤和巳4軍監督(現3軍監督)【写真:冨田成美】
斉藤和巳4軍監督(現3軍監督)【写真:冨田成美】

心に刺さったのは、「遊びじゃないぞ」という言葉だった。「プロ野球はユニホームを着ていられる時間が限られているんだから。そんなことをやっている暇はないぞ」。厳しい口調で現実を突き付けられた。頭では分かっているつもりだったが、改めて斉藤監督からの言葉に腹をくくった。

 喝を入れられてからも、試合ではうまくいかなかった。フォームを固めなければいけないと分かってはいたものの、どうしようもないほどに悩み、再び試行錯誤を続けていた。6月ごろには首脳陣からの提案もあって、1か月ほど投げない期間を設けることになった。自分と向き合うための時間にする決断をしたが、揺れる思いもあった。「勝負をかける年だと思っていたので、葛藤はありました。でも、『急がば回れ』かなって。周りの活躍とかは、見ていて悔しかったですけど……」。

 結果的には、体組成や筋肉量の減少がフォームの崩れた原因だった。「体ができていなかったからということに気付きました。これまではウエートトレーニングで体が硬くなって、それが原因で肘を怪我したんじゃないかと思ったので。昨季はウエートの量を減らしていたんですけど……」。苦しみ抜いた中で得た、かけがえのない経験。今ではウエートトレーニングをこなしつつ、怪我予防のトレーニングにも取り組み、体作りも順調だ。

 その成果もあってか、今オフに参加した台湾でのアジアウインターリーグでは手応えも感じられた。「やれば結果はついてくるっていうか、正しい方向に進んでいればこうなるんだなって自信にはなりました。あとは継続していくしかない」。力強くうなずく一方で、安堵するわけではない。「去年は本当なら1軍で、と思っていたシーズンだったので」。見つめる先は数段上にある。

 昨季の苦い経験も手応えも全て、4年目の今季につなげたい。「今年はもう1軍。1軍しか見ていないです。春のキャンプが1番のアピールチャンスだと思うので。そこにピークを持っていけるように調整していきたいと思います」。かつての守護神デニス・サファテ氏も背負っていた背番号58を受け継いだ左腕は、静かに闘志を燃やした。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)