2軍で最優秀防御率に輝いた左腕であっても、現実は厳しいのか。三浦は不安な気持ちで日々を過ごしていた。「ソワソワですね。早く連絡来てほしい。早くどこか決めたいっていう中で不安がありました」。
初めて本人の元に連絡が届いたのは14日だった。12球団合同トライアウトが行われた同日の夕方、携帯電話が鳴った。「その日まで全く連絡が来なかったんで。すごく焦りがある中で、中日さんから連絡が来た時はすごく嬉しい気持ちと、ホッとしたって思いがありました」と安堵した。
「今年の成績だったら、絶対どこか獲ってくれるよ」――。周囲からの声は前向きなものばかりだった。ネット上ではホークスファンの惜しむ言葉や、他球団ファンからの「絶対欲しい」「争奪戦だろ」と言った声も聞こえていた。「自分、結構そういうの見ちゃう人なので。そう言われるのはすごく嬉しいなと思いながら、ずっと見ていました」と励まされた部分もあった。しかし、それらの声とは裏腹に「信じて待っていたんですけど、なかなかオファーが来なかったので。本当に不安と焦りがありました」と、とにかく落ち着かなかった。
戦力外通告は受けたが、球団からは育成再契約を打診されていたため、それが1つの拠り所になっていたのも確かだ。「とりあえず(他球団から)声がかからなくても、プロ野球の世界でプレーできるっていう思いはありました、今年の成績がすごく良かったにも関わらず、こういう結果になってしまったのも事実なので。3年間、本当にお世話になった球団ですけど、来シーズンもまた這い上がるというのは……。自分の中で(その気持ちも)あるにはあるんですけど、他の球団に行って勝負するのもありだなって」。環境を変えて勝負したい思いが強かった。
三浦がホークスの球団事務所に呼ばれたのは11月4日のこと。前夜に球団から電話が掛かってきた。「連絡が来た時は、『ほんとに俺?』『なんで俺?』って思いましたね。他にもっといるだろうって……」。偽らざる本音だった。
厳しい世界だということは重々承知しているからこそ、日々の練習からひたむきに取り組んでいたし、与えられた場所でしっかりと結果も残してきた。開幕から2軍で先発ローテーションを担い、安定した成績を収めたことで7月末に支配下登録を勝ち取った。8月に初めて1軍に昇格すると、慣れない中継ぎで5試合に登板し、5回を投げて無失点。その後も再び2軍で堂々たる投球を続けると、ウエスタン・リーグで最優秀防御率のタイトルを獲得した。
三浦自身も手応えのある1年だった。「もう本当に3年間で1番いい成績を残したと思っていたので、これだったら来年も勝負できるなっていう気持ちでした。これくらい成績を残しても、こうなるんだなって……。結果を出せなかったらこうなるのは自分でもわかっていたし『絶対に結果だけは残そう、残そう』っていう思いでやってきました。それでも、こういう判断をされてしまったので、難しいんだなっていうのはありましたね」
結果を残しても来年があるかは分からない、厳しい世界。三浦が球団から言われた言葉は「枠がない」――。自分ではどうしようもない現実だった。「『結果も残しているし、期待している選手だけど、枠の関係でそういう形になります』って。そう言われちゃったら、もうしょうがない。何も言えず、って感じですかね」。それでも、「そこに関しては、球団の人にも『本当に納得はできないです』って言わせて頂いたので」と自分の正直な気持ちも伝えた。
「来年、絶対にいけるっていう自信もあった中で、こういう風になってしまって悔しい」。苦すぎる退団となってしまったが、3年間を振り返った三浦の口から出てきたのは清々しい言葉だった。「この球団には感謝しかないです。やりがいのある球団でした」すべての経験を胸に、新天地で活躍することを誓った。