右肘骨折→手術直後に球速”爆伸び” 155キロ右腕の誕生秘話…育成3位大矢琉晟の「転機」

育成3位の大矢琉晟【写真:竹村岳】
育成3位の大矢琉晟【写真:竹村岳】

同級生がプロ入りで「今までにない刺激」

 2025年ドラフトでホークスは支配下選手5人、育成選手8人を指名しました。鷹フルではチームの未来を担うルーキーズを紹介します。今回は中京大から育成3位で入団した大矢琉晟投手。大学3年間リーグ戦未勝利だった右腕には、ブレークの転機がありました。

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 最速155キロを誇る剛腕だが、決してエリート街道を歩んできたわけではない。中京大中京高では3年春の選抜でベスト4に進出。しかし、甲子園で自らの登板機会は1度もなかった。当時は投げても140キロそこそこ。プロというものを考え始めたのは、高3のドラフト会議だった。

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続きの内容は

右肘手術後に得た、腕が「勝手に走る」感覚
155キロ出た直後、大矢投手が思わず発した「一言」
大学3年生まで未勝利からプロへ…「ブレなかった想い」

「同級生の畔柳(亨丞)が日本ハムに指名されたことが大きかったですね。今までにないような刺激を受けました。自分も『絶対にプロになる』という目標を掲げて大学に入りました」

 高3の夏に初めて背番号「10」をもらい登板したが、好結果を残せたわけではなかった。大学は中京大に進学。しかし、決して順調な道のりではなかった。2年時に突如、右肘に痛みが走った。検査をすると、疲労骨折が発覚した。

「それまでは投げられていたんですけど、7月にガーッと痛みが出て。検査したら折れていました。3年の春、秋を目指して進めていこうと決断しました」

 チタンのボルトを2本埋め、3か月間のリハビリ生活を余儀なくされた。2年時の10月後半にキャッチボールを再開。最初は感覚のズレに苦しんだ。「最初はなかなか感覚が掴めなくて。投げ方がわからないじゃないですけど……」。

フォーム改善→立ち投げで149キロ「以前には全くない感覚」

 そんな状況で下した決断が、サイドスローからスリークオーターへの変更だった。「(投球再開後)最初の1か月くらいは、サイドから上げたり下げたり、試行錯誤していたんですよ。探りながらやっているみたいな感じで、結果的には徐々にサイドより上げることになりました」。故障後初めてブルペン入りした12月末。劇的な変化に気づいた。

「マックスで投げることを禁止されていて。7〜8割で投げていたのに、腕が走ってボールが勝手に飛んでいくみたいな感覚があって。全てが噛み合っているような、以前には全くない感覚でした」

 高校時代の最速は141キロ。大学入学後も手術前まではマックスでも144キロだった。年が明けて1月に手術後初めて球速を計測すると、いきなり149キロをマーク。それも立ち投げで計測したものだった。リハビリ期間でウエートトレーニングを積んだことや、投球フォームの改善に着手できたことが功を奏した。その後すぐ155キロまで球速が上がった。

「正直、最初は(スピードガンが)おかしいなって思ったんですけど(笑)。やっぱり自分の感覚も周りの反応も投げている球も速いって感じだったので」。大学3年春にリーグ戦デビュー。同年は未勝利ながら、4年となった昨季の大学選手権では近大戦に先発し、7回3安打8奪三振無失点と圧倒。一気にプロ入りが現実味を帯びてきた。

「自分の中では投げられない時とか、調子が悪い時は『本当になれるのかな』って気持ちはあったんですが、プロになりたい気持ちはブレなかった。やっと『チャンスがあるかな』って本気で思えた瞬間でした」

 高校では畔柳、大学では高木快大投手(広島7位指名)と世代を代表する存在が常にそばにいた。大学では3年時まで未勝利と遅咲きの右腕。悔しさや焦りはあったが、自らのやるべきことはブレなかった。「自分の力を発揮することが一番大事だと思うので、まずそこにフォーカスして。プロでも人に左右されず、やっていきたいと思っています」。まずは支配下を目指し、プロ人生をスタートさせた。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)