師匠の存在に苦笑い…耐えてきた数々の“イタズラ”
鷹フルがお届けする森唯斗投手の単独インタビュー。第4回は、デニス・サファテ氏との関係性について語ります。首脳陣から守護神という役割を伝えられた瞬間、“キング・オブ・クローザー”の後継者としてのプレッシャーはなかったのか――。師匠に現役引退の決断を伝えると、かけられたのは“祝福の言葉”でした。
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2013年ドラフト2位で指名され、翌年に入団した森と、西武から移籍したサファテ氏。“同期入団”となった2人だ_「最初の頃はあんまり話していなかったんですよ。2年目くらいからじゃないですか」。ブルペンを支える存在として、チームの勝利に貢献し続けた日々を振り返る表情は懐かしそうだった。「朝のトレーニングからずっと一緒にいましたね。ケツを叩いてくれる人がいたからここまで来られたし、彼と出会えて本当に良かったなと思っています」と頭を下げた。
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続きの内容は
師匠サファテが引退の森に贈った「意外な言葉」
肩肘は無事…森唯斗が明かす「心に秘めた覚悟」
マグロのように止まらない…引退後の「新たな道」
「どれだけグローブを隠されましたかね……」。耐えてきた“イタズラ”は数知れず。ともに戦った日々はもちろん、何気ない思い出も財産だ。サファテ氏といえば、バッターを圧倒する豪速球が代名詞だった。「彼とキャッチボールをして、グローブの紐が何回もちぎれたんですよ。僕もちぎってやろうと思って、負けじと投げていた。それもまた、よかったんじゃないですか」。もっといい投手になりたい。そんなモチベーションを毎日のようにくれたのが、サファテ氏の存在だった。
2017年、サファテ氏はシーズン54セーブというNPB新記録を残し、パ・リーグMVPに輝いた。しかし、股関節を痛めて2018年4月に離脱。守護神としてバトンを受け取ったのが、森だった。当時の工藤公康監督から呼び出され、告げられたのは短い言葉。「いくぞ」――。その真意は、すぐに理解できた。
「なかなかもらえるようなチャンスではないので、そこでやっぱり違うスイッチが入りましたね。もし怪我していなかったら、そのままずっとサファテ氏だっただろうし、何年か後には(僕とは)違う人がしていたかもしれない。僕もそれまでに調子を維持していなかったら使われていなかったと思うので、タイミングも良かったのかなと。運も持っていたと思います」
引退を知らせて…サファテ氏からかけられた言葉
球史に名を刻んだ“キング・オブ・クローザー”。森も通算127セーブを挙げる活躍をみせ、“後任”としての役目を見事に果たしてみせた。「プレッシャーはもちろんありましたけどね」。そう認めつつ、語ったのは足元を見失わなかった過去。「僕は絶対的なボールがあるわけではなかったので。彼よりも上は見られない。それくらいサファテ氏はすごかったし、彼の後だからやりにくいとかはなかったです。とにかく毎日、必死に投げていました」。自然体を貫いて、6度の日本一に貢献したキャリアはどこまでも輝かしい。
サファテ氏が現役を引退して4年。後を追うように、森もユニホームを脱ぐことを決断した。海の向こうにいる師匠に電話をかけると、告げられた言葉は「引退、おめでとう」。次のキャリアに進むのは、悲しい出来事ではない。リスペクトされるべき決断だからこそ、師匠は祝福の思いを伝えてくれた。「おめでとうって、僕も『確かにそうだな』と思いますね。あとは『家族を大事にしろよ』と。それが一番言われたことです」。微笑みながらやり取りを明かした。
森唯斗が語った“引き際の美学”「人に恵まれた」
徳島の実家で、父親は漁師業を営んでいる。右腕も口癖のように「マグロのように止まらず進んでいきたいです」と表現していた。2023年オフに構想外通告を受けて、ホークスを退団。DeNAで2年間プレーし、33歳の若さで引退を決断した。肩も肘も痛くはない。ボロボロになるまで、投げ続けたい気持ちはなかったのか――。森は首を横に振った。
「正直、全くなかったですね。ベイスターズに行って『ここで結果が出なかったら自分も辞め時かな』と思っていたし、それくらいの覚悟だったので。やれることはやったし、そこまで『長くやりたい』というのがなかったので。自分の中では、決めるにはいいタイミングだったのかなと思います」
福岡に家族を残し、関東で単身生活を送っていた。支えてもらった分だけ、これからは同じ時間を過ごしていくつもりだ。「僕は12年、現役をやりましたけど。本当に人に恵まれたなというのが一番です」。引退、おめでとう――。肩を休める森唯斗に、多くの戦友たちがそう言ってくれるはずだ。
(竹村岳 / Gaku Takemura)