澤柳亮太郎が“自暴自棄”から這い上がれた理由 恐怖と戦う友を見て「失礼だった」

澤柳亮太郎【写真:飯田航平】
澤柳亮太郎【写真:飯田航平】

間近で見た同い年の壮絶な覚悟

 ぶつけようのないもどかしさは、ある男の姿を見て“恥ずかしさ”に変わり、前だけを見つめるきっかけとなった。澤柳亮太郎投手が3日、ジャパンウィンターリーグ(JWL)で実戦復帰を果たし、1回無失点の好投を披露した。実に1年4か月ものリハビリ期間を経て、マウンドに戻ってきた右腕。その表情は長いトンネルを抜け出した安堵感に満ちていた。

 2023年のドラフト5位で入団し、ルーキーイヤーの2024年には1軍のマウンドも経験した。しかし、同年9月4日にトミー・ジョン手術を受け、今シーズンは育成選手として再出発することになった。途方もないリハビリの日々で、右腕を襲った「さらなる試練」。手術の影響とみられる神経症状に見舞われた。“指の感覚が消える”という、投手として恐ろしい事態に直面した。

「本当に感覚が消えちゃって、もうボールも握れないような……。4か月くらい投げられなかった時期があったんです」。投げたくても投げられない。いつ戻るかもわからない感覚。そんな右腕に光を与えたのが、生海外野手だった――。

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続きの内容は

・生海が壮絶な状況で口にした「澤柳を救った言葉」
・生海が戦う、脳への影響と「恐怖の症状」への具体的な工夫
・連番が「空き番」で残ったことに明かした「澤柳投手の素直な感情」

間近で見た同学年の姿…「なんか失礼だなって」

「トミー・ジョンをした中でそうなっちゃったんですけど。4か月も指の感覚が消えるってなると……。すごく『うわー』ってなっていたんです」。誰のせいでもない。だからこそ、行き場のない怒りが澤柳の内側で渦巻いた。「自暴自棄というか、『いや、もうこんなの……』って。そんなふうに思っていました」と、当時のもどかしい心境を吐露する。

 そんな澤柳を暗闇から引きずり上げたのは、同じく育成契約から支配下復帰を目指す生海の存在だった。生海もまた、頭部に打球が直撃したことによる後遺症と戦っている。脳への影響は深刻で、目や平衡感覚に支障が出る。それでも特注のメガネを作るなど、あらゆる工夫を凝らしてグラウンドに立ち続けている。

「いっくん(生海)は、『治らないんだったら治らないなりにどうにかしたい、どうにかしよう』という気持ちと工夫がすごくある。それを見習って。自分はもう『最悪だ。終わった』みたいに思っていたんです。でも、『全然だな、なんか失礼だな』って。生海がどうにかしようとしている姿勢に対して、自分が何もしてないことに『違うな』って思いました」

 澤柳は、同学年の戦友との会話の中でハッとさせられたという。「自分は治るって言われている。ただ、生海は頭にぶつかって治るかわからないっていう、もっとすごいところで戦っている。自分は神経症状でボールを握れなくなっちゃった時期があったけど、彼は目に症状が来たり、頭がグラグラする感覚がある中で、プロとして野球をしている……。絶対に怖いはずなんです」。

 生海は“治るかわからない”恐怖と戦いながら、決して前を向くことをやめない。澤柳の言葉には深い尊敬と、自らを奮い立たせる熱がこもっていた。 「話を聞いてみたら強いものを持っているし、すごく前向きだったんです。『絶対に一緒に(支配下に)戻ろうな』って」。

37と38の連番「こんなペーペーの自分の番号を」

 生海の覚悟に触れ、澤柳の感情は闘志へと変わった。12月8日には新入団選手の背番号が発表されたが、かつて2人が背負っていた「37」と「38」は“空き番”のまま残された。

「え! 38番残ったんですか? 嬉しいです。こんなペーペーの自分の番号を残してくれるなんて」。顔をくしゃくしゃにして喜んだ澤柳には、確固たる決意がある。奇しくも生海とは、支配下時代の背番号が“連番”だった。

「応援してくださる方々もやっぱり『38で』っていうのはすごく言ってくださって。言ってみたらホークスで半年くらいしか野球ができていないのに、覚えてくださっていて。誕生日(3月8日)だったりとか、色々と重なっている番号なので」

 指先の感覚は戻った。そして何より、心には太い芯が通った。また2人で支配下のユニホームに袖を通し、ドームの大歓声を浴びる「その日」まで――。支え合ってきた2人の日々は、必ず報われる。

(飯田航平 / Kohei Iida)