上沢直之はなぜ中学から野球を始めた? “控え時代”の記憶はまさかの「一生草むしり」

  • 記者:竹村岳
    2025.12.03
  • 1軍
子ども質問に答える上沢直之【写真:竹村岳】
子ども質問に答える上沢直之【写真:竹村岳】

ベースボールキッズに初参加…子どもたちに送ったアドバイス

 自身の野球人生の“スタート”は、決して早くはなかった。だからこそ、子どもたちに伝えられる言葉がある。「小学校の時なんて、試合に出られなくても大丈夫です。僕が証明しているので」。11月29日、佐賀市内で開催された「ベースボールキッズ2025」に参加したのは、ホークスでの1年目を終えた上沢直之投手。レギュラーシーズンで12勝を挙げた右腕だが、実は野球を始めたのは中学からだった。

 新天地に加入し、日本一に貢献した上沢の活躍ぶりを、子どもたちもよく知っていたのだろう。野球教室では、次々と質問が飛んだ。「コントロールをよくする方法は?」「憧れていた人物は?」――。右腕がアマチュア時代に大切にしていた練習は、遠投だ。体全体を使いながら、フォームを染み込ませていった。「僕もすぐには上手くならなかった。中3まで試合に出たことはなかったです」。

 千葉県出身の右腕。野球を始めるまでは、サッカーや水泳をしていたという。NPB通算82勝を誇る背番号10は、なぜ中学から野球を始めることになったのか。

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12勝右腕が明かす“控え時代”の「意外な雑務」
独学で変化球を覚えた「意外な方法」と練習相手
強豪校進学を決めた「意外な理由」と恩師への本音

成長を遂げた中学3年まで「落ち葉を拾っていました」

「兄貴も中学から野球を始めたので、『自分もやってみようかな』みたいな感じでした。あとは父親ですかね。父親が野球をやっていたので。僕も『やれ』とは言われなかったですけど、野球は見せられていましたし。最初は軽い気持ちでしたね」

 家族から影響を受けて、白球を手にするようになった。エリート道を歩んできたわけではない。「中2の後半くらいまで試合にも出ていなかったです。一生落ち葉拾いとか、草むしりをやっていましたね」。今では想像もできない“控え時代”だ。

 ポジションはピッチャーとなり、最初に覚えた変化球はカーブだった。「野球の本を読んだら『カーブを覚えろ』って書いてあったので。『じゃあそれからか』みたいな感じでしたよ」。誰かの指導を仰ぐというよりも、“独学”で技術を磨いた。「陸上部の友達に付き合ってもらって、家の近所の公園で練習したのは覚えていますね。そこでカーブも投げていました」。意外な相手とキャッチボールした日々も、大切な記憶だ。

専大松戸高で出会った持丸監督「めっちゃ厳しい指導」

 中3の冬、進路に選択したのは専大松戸高だった。今では春夏合わせて5度の甲子園出場を誇るが、上沢が入学した時点ではまだ未出場だった。「一応スポーツ推薦だったんですけど、家が近くていいなと思って受けに行ったら、取ってくれるって言うんで。『じゃあお願いします』みたいな」。ここで、運命を変える出会いを果たす。専大松戸高をはじめ、4校を甲子園に導いた“名将”持丸修一監督のもと、青春時代を過ごすことになった。

「普通に遊びというか、『部活動くらいで野球やろうかな』と思ったら、結構有名な監督だったんです。入るまではそれを知らなかったんですけど、今の僕があるのは高校時代にめっちゃ厳しい指導をしてくださったおかげです。そんな強い高校に行くつもりなかったんですけどね」

 脳裏に焼き付いているのは、とにかく走り続けた日々だ。練習試合先からランニングで帰らされたこともあった。2年の春からはエースナンバーを背負うほどに成長。厳しさから逃げず、野球に没頭したからこそ今の上沢がある。「僕の基本を作ってくれた3年間ですね。中学の時はゲームの方が楽しかったりしたんですけど(笑)。高校で努力する大切さを学びました」。恩師のもとで築いた全てが、右腕のルーツだ。

「あんまり根を詰めてやってたら、どっかで野球に飽きていたかもしれないですし。まずは楽しくやることが大切だと思います」。スタートは早くなかったが、誰よりも努力を重ねてプロ野球選手になった。夢を抱く子どもたちのために――。上沢だから言える言葉がたくさんあった。

(竹村岳 / Gaku Takemura)