高橋純平さんは8年間背番号「47」を背負った
思いはしっかりと引き継がれていた。2024年の開幕前に背番号を「42」から「47」に変更した大関友久投手は今季13勝を挙げ、勝率.722で自身初のタイトルを獲得。2年連続でキャリアハイの成績を収め、リーグ優勝、日本一に貢献した。
22日に鹿児島で開催された「ベースボールキッズ 2025」。子どもたちに優しく教える背番号「47」の背中を誇らしげに見つめていたのが、球団職員の高橋純平さんだ。2015年のドラフトで3球団競合の末1位指名を受けた右腕は2023年オフに現役を引退するまで、8年間「47」を背負った。
2人は同じ1997年世代。高橋さんが現役を退いた2023年のオフに大関から「47を着けていい?」と問われた。「お前に着けてほしい」と伝えてから2年。キャリアハイを更新し続ける左腕への率直な思いを明かした。
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続きの内容は
・高橋純平が明かした、背番号「47」の「唯一の心残り」
・戦力外通告後に大関が「着けていい?」と尋ねた、深い理由
・大関友久が「47の歴史」に高橋純平の名前を残す覚悟
「すでに彼の番号だと思いますし、純粋に応援していますね」。これまで工藤公康氏、杉内俊哉氏らが背負ってきた偉大な番号。そして高橋さんは2014年オフに監督に就任した工藤氏が初めてクジを引き当てた“愛弟子”だ。その系譜を引き継ぎ、プロの舞台に足を踏み入れた。
大きな期待を受けて入団したが、現役時代は怪我に苦しんだ。2019年にキャリアハイとなる45試合に登板し、防御率2.65をマークするも、翌2020年は右肩の炎症で登板なし。2023年オフに戦力外通告を受け、現役引退を決断した。
「完全燃焼ではないとはいえ、後悔はあまりないですね」。そうやりきった表情を見せる高橋さんだが、唯一の心残りがあった。背番号「47」をファンにもっと見せたかったという思いだ。「これだけいい番号をもらって、なかなかドームで47の番号を見せることが少なかったので……」。
1軍では全て中継ぎ…嬉しかった大関の一言「わざわざ言ってくれた」
1軍での登板は全て中継ぎだった。だからこそ、長いイニングを投げる先発投手に着けてもらいたかった。そんな中、大関から言われた「着けていい?」の一言。戦力外通告を受けた後であり、“許可”など必要なかった。それでも、その一言が嬉しかった。「僕にわざわざ言ってくれたので。長いイニング、47番がマウンドにあるのは嬉しいですね」。そう頬を緩ませる。
ホークスにおける「左腕エース」の代名詞。大関自身も「大事な背番号だと思うので、恥じない成績を残せるように頑張りたい」と覚悟の上で背負った。「長い歴史の中で、たくさんの偉大な選手が背負ってこられた中で、純平もそこを背負って戦ったチームメート。番号の歴史……そこにはやっぱり純平がいる」と思いを語る。
「この先、僕がもっといい投球をして、いい引き継ぎ方ができるようにとは思っています」と大関。高橋さんが成し遂げられなかった“心残り”――。同学年の思いは着実に受け継がれている。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)