過去に価値はない…斉藤和巳監督の“哲学” 2度の沢村賞、トロフィーが“今ある場所”とは

斉藤和巳監督【写真:竹村岳】
斉藤和巳監督【写真:竹村岳】

2026年からは2軍監督へ…ファームの指導者となり来季が3年目

 過去の栄光に価値などない。そう信じて、指導者としてのキャリアを歩んできた。「大事なのは今と未来やから。過去は俺にとってどうでもいい」。そう語ったのは、来季から2軍監督を務める斉藤和巳3軍監督だ。現役時代に数々の栄光を手にした指揮官が口にした意外な事実。そして、唯一「特別」だと認めたタイトルとは――。

 現役時代には通算勝率.775を誇り、「負けないエース」と呼ばれた。2度の沢村賞を手にするなど輝かしいキャリアを歩んだ一方で、晩年は右肩の故障に苦しんだ。2023年から指導者として9年ぶりにホークスへ復帰。4軍、3軍でも指揮官を務め、若鷹たちとともに汗を流してきた。

 ここ2年、斉藤監督の管轄はほとんどが育成選手だった。「じゃあこいつらが一生懸命やっていないかって言ったら、そうではない。一生懸命にやっているやつもいるし、頑張っている時もある」。かつてはエースと呼ばれ、同僚から「簡単には近づけない」と言われるほど、誰よりも野球に向き合い続けた。全てを背負ってきた男が、3桁の若鷹に目線を合わせるのは簡単ではなかったはずだ。そこには絶対にブレない信念、そして指揮官が大切にする価値観が強く滲んでいる。

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続きの内容は

・沢村賞のトロフィーは今どこにある?
・斉藤監督が明かす小久保監督との「人生の転機」
・「俺は責任を取れへん」という監督の「若鷹への真の愛情」

2003年に1度目の沢村賞「記録が残っていればいい」

「過去にどれだけすごいことをしていても、大事なのは今と未来やから。俺はそんなすごい成績を残したとも思っていないし、(周囲から)そう思われていたとしても、どうでもいい。家に沢村賞のトロフィーとか一切ないからね。実家には置いてあるけど。だって、そんなもの残したところで意味はない。記録として残っていれば、事実として刻んであれば、過去はどうでもいいのよ」

 そして「まあ、沢村賞だけは特別やけどね」と付け加えた。初めて規定投球回に到達したのは、8年目の2003年。長かった“下積み”の経験は、指揮官となった今も生きている。「俺がバリバリやり始めたのは、25(歳)の時かな。選手と接する中でも『ああ、俺もこう思っていたよな』『若い時ってそういうものよな』『でも、何かに気付くのに年齢って関係ないもんな』とか思いながら」。栄華を極めた斉藤監督と、育成選手たち。その歩みは重ならないようにも見えるが、お互いの理解があるからこそ信頼関係が成り立っている。

「結局、気づけるか気づけないか。それだけよ。ターニングポイントなんてゴロゴロ落ちているでしょ」。選手たちに伝え続けている言葉だ。指揮官にとって転機となったのは、プロ3年目の1998年。9月に右肩を手術すると、小久保裕紀監督と同時期にリハビリをすることになった。「小久保さんと出会っていなかったら、今の俺はいないよ。それは間違いない」。右肩痛に苦しんだ晩年も、米国での自主トレでお世話になった。プロの姿はもちろん、“人として”大切なことばかりを教わった偉大な先輩だ。

笹川吉康と言葉を交わす斉藤和巳監督【写真:竹村岳】
笹川吉康と言葉を交わす斉藤和巳監督【写真:竹村岳】

「俺と話をしてどう思うかはお前が決めろ」

 今年11月の秋季練習中、斉藤監督はとにかく選手たちと言葉を交わした。笹川吉康外野手とは、座り込んで1時間以上も会話を重ねたこともあった。「伝える時は、もちろん真っすぐに伝えるよ。厳しいことを言ったとしても、なんでそれが大切なのかまでちゃんと言うしね」。1人でも選手が練習していれば、その姿を必ず最後まで見守る。指導者として貫いてきた“愛情”に、斉藤監督の人柄が滲み出ていた。

「選手にも言うんやけど、『やるかやらへんか、俺と話をしてどう思うかはお前が決めろ。俺はお前の責任は取れへんからな』って。無責任な言い方かもしれへんけど、綺麗事も言わん。自分なりにいろんな経験をしてきたし、それを踏まえて選手を見て『俺はこう思う、こうすればいいんじゃないか。俺も若い時はこうやったから気持ちもわかる』って話はするよ。ただそれを頭に残すのか、実行するのかどうかは選手が決めるしかないから」

 プロ野球選手とは、1人1人が個人事業主。どれだけ周囲が手を差し伸べようとも、最後は自分自身が変わるしかない。「ワンプレーに自分だけじゃなくて、人の生活がかかっている。だけど、ここ(ファーム)にいるやつらは、まだそこまではいけていない。責任が生まれたら考え方も行動も変わってくるやろうからね。無責任な人には何も預けられないでしょう」。そう語る表情は、心から若鷹の将来を想っているようだった。2026年からは舞台を2軍に変えて、再び若鷹たちと向き合っていく。

 11月30日で48歳の誕生日を迎えた。ファームの監督を務めて、来シーズンが3年目だ。「みんな一生懸命やっているよ。マイナスなところもあるかもしれないけど、俺の立場はプラスのところも見てやらないと」。誰よりも真っすぐで、愛情深い。斉藤監督が率いる2軍は2026年、どんな戦いを見せてくれるのか――。

(竹村岳 / Gaku Takemura)