牧原大成が掲げた背番号7「聞かなくてもわかるでしょう」
盟友との「絆」が表れたシーンは、ファンにとっても記憶に新しいだろう。日本一が決まった瞬間、中村晃外野手のユニホームを高々と掲げた牧原大成内野手。甲子園に訪れた歓喜の瞬間で生まれた粋な演出の裏側には、実はもう1人の“立役者”がいた。
5年ぶりの日本一を掴み取ったのは、10月30日だった。3勝1敗で迎えた阪神との日本シリーズ第5戦。延長戦を制し、ホークスが頂点に輝いた。レギュラーシーズンでは見事な働きを見せた中村だが、腰痛の影響で欠場。背番号7のユニホームをマウンドにまで持ってきたのが、牧原大だった。「理由? そんなの、聞かなくてもわかるでしょう!」。そう照れ笑いしたが、2人で支え合い、戦い抜いた1年だった。
舞台裏を語ったのは、1軍の用具担当を務める村上誠一さんだ。シーズン中はチームの荷物を遠征先に搬送したり、ランドリーや練習球を管理したりするのが役割だ。ユニホームは、まさに村上さんの“管轄”。背番号7の“魂”はどのようにして甲子園にたどり着いたのか。歓喜の瞬間を想定し、準備を進めていたのは34歳のベテラン捕手だった。
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続きの内容は
・歓喜を演出した34歳のベテラン捕手
・牧原より早く動いた「もう一人の立役者」の行動
・担当者が確信した「誰かが言ってくる」理由と背景
嶺井博希が言い出した「晃さんのユニホーム…」
「『胴上げの時、一緒にマウンドに持って行きたいから持ってきてください』って、最初に言ってきたのは嶺井(博希)でした。本拠地での試合(第2戦)が終わって、甲子園で決まる可能性があったでしょ? だから『晃さんのユニホームありますか?』『写真とか一緒に撮りたいんです』って感じでした」
“立役者”は、嶺井博希捕手だった。10月25日に開幕した日本シリーズ。ホークスはみずほPayPayドームで1勝1敗として、敵地・甲子園に乗り込むことになった。3連勝すれば、福岡に戻ってくることはない。嶺井は26日の2戦目が終わった直後、すぐに村上さんに「持って行きたいです」と意思を伝えた。一緒に戦ってきた中村の“存在”を、歓喜の輪に連れて行ってあげたかった。
「そしたら、今度は牧原(大)がまた『晃さんのユニホームありますか』って聞いてきたんですよ」。背番号8が村上さんに確認したのは、甲子園で全体練習が行われた27日の出来事。すでに関西へと移動し、中村のユニホームもチームに“帯同”している状況だった。「仮に持ってきていなかったとしても、マッキーが言ってきたタイミングでも全然大丈夫でしたよ。リーチがかかれば球団の方が甲子園に来る。その人に持ってきてもらえたらよかったので」。
村上さんも“確信”「言ってくるのはわかっていた」
中村を思う後輩2人の思いに触れ、村上さんは心が温かくなるのを感じた。「僕も経験がありますから。誰かが(持ってきてくださいと)言ってくるのはわかっていましたよ」。自身は1988年ドラフト4位で当時のダイエーに入団し、通算23試合に登板した。引退後は打撃投手を務めるなど、裏方として長年ホークスを支えてきた。「スタッフですから。選手に『こうしてください』と言われて、できるのは当然のこと。こっちが“先回り”して準備することが理想ですけど、今回は2人がちゃんと言い出してくれましたね」とにっこり笑った。
嶺井本人は「いやいや、僕はそんなことしていないです」と謙遜したが、その“優しさ”はきっと届いていたはず。村上さんも「選手が喜んでくれたのが一番ですよ」とうなずいた。中村の存在も含め、まさに全員で掴み取った日本一だった。
(竹村岳 / Gaku Takemura)