川口冬弥だけが知る板東湧梧の美徳 「見たくなかった」苦しむ姿…たった1度だけ見た“怒り”

10月27日に球団から戦力構想外が発表された

 大好きな先輩を一番近くで見守ってきた。「それはもちろん寂しいですよ」。板東湧梧投手との別れを惜しんだのは、川口冬弥投手だ。1度だけ“怒り”に触れた出来事、そして自分だけが知っている努力の真意――。「それは美徳ではないんです」。かけがえのない1年間を、偽りのない言葉で振り返ってもらった。

 川口は2024年の育成ドラフトで6位指名を受け、ホークス入り。今年2月の春季キャンプではB組スタートとなり、板東と出会った。背番号50の先輩に自ら声をかけたのは第1クールの初日。「キャッチボール相手いますか?」。2人の関係性が始まった瞬間だった。そこからは苦難も喜びも分かち合いながら、2025年シーズンを過ごしてきた。2人ともに球団から来季の戦力構想外と告げられたのは、10月27日の出来事だった。

 その前日の10月26日、川口は26歳の誕生日を迎えた。球団から電話がかかってきたのは、トレーニングに向かおうとしていた直前。「え……」。ただただ言葉を失うしかなかった。入団からわずか1年で立たされたキャリアの岐路。真っ先に報告したのが、板東だった。

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続きの内容は

川口が「見たくなかった」板東の苦悩とは
2軍戦直後、板東が思わず漏らした「腹立つわ」の真意
川口が見た唯一の怒り。板東らしい行動とは

「育成選手なんて相手にされないと思っていたんですけど…」

「まずは自分に電話がかかってきたので、すぐに(ハナマウイ時代にお世話になったトレーナーの)中山さんと、板東さんに報告しようと思いました。『自分、明日事務所に呼ばれました』って言ったら『俺も』って言われたので。マジかと思って……」

 高校時代は3年間で1度も背番号をもらえなかった川口。紆余曲折の人生を歩んで、25歳にしてホークスのユニホームに袖を通した。「我が強い」と思っていたプロ野球選手のイメージはすぐに覆された。「育成選手なんて相手にされないだろうなって思っていたんですけど、(板東は)どんな人からでも吸収しようとする貪欲さがある。課題を見つけて挑戦する。それは何歳になっても大切なんだと僕は教わりました」。1年目で手にした、かけがえのない出会い。2025年を振り返れば、ことあるごとに板東が隣にいてくれた。

 お互いにファーム生活が長かった今シーズン。タマスタ筑後の室内練習場で、誰よりも居残って練習する先輩右腕の姿を何度も目にした。今季に全てをかけ、光を探した板東の1年間。川口だけはその努力に隠された“真意”を知っていた。

「大前提として板東さんなりに求めているものがあるから、あれだけ長い時間練習していたと思うんですけど、『長く練習すること』自体は美徳ではないんです。板東さんもそれをわかっていながら、でもすっきりしないからあそこにいた。素直な人だからいろんな人の意見を聞いちゃうのもわかるんですけど、(苦しい姿を)本当はあまり見たくなかったです。自分も辛くなるので」

川口冬弥と板東湧梧【写真:竹村岳】
川口冬弥と板東湧梧【写真:竹村岳】

2軍戦の後…思わず板東湧梧が漏らした「腹立つわ」

 必死に光を探す姿は、“美徳”ではない。懸命に取り組むことはもちろん大切だが、プロの世界は結果が全て。「何かと首を傾げるところは何回も見たことがあります」。印象的だったのは、ある2軍戦。降板した板東が漏らした「腹立つわ」という言葉だった。悔しさも、喜びも近くで見守ってきた。1軍のマウンドを目指して切磋琢磨した日々。何度も立ち上がる強さも、誰にも言えなかった苦悩も、川口だけが知っていた。

 試合中にガッツポーズする姿を見たことがないほど、あらゆる感情を胸に秘めてマウンドに上がり続けてきた板東だが、1度だけ先輩右腕の“怒り”に触れたことがある。「一緒にキャッチボールをしていて、板東さんにいい感覚が出たんです。『あしたもやってみよう』ってなったんですけど、多分また元に戻っていたんだと思います」。右腕でグラブを振り上げ、地面に投げつける寸前で止まった。「『うわっ』って思いましたけど、そこで(道具に)当たらないのがやっぱりあの人らしいですよね」。これからは別々の道を歩んでいく。何度も触れてきた優しさは絶対に忘れない。

 戦力構想外の通告を受けた先輩右腕は、巨人との育成契約を結んだ。川口も再び3桁のユニホームからリスタートを切る。腰痛の経過も順調だ。「寂しさはあるんですけど、それは置いておきます。やることは明確ですし、まずは自分のことをしっかりと頑張ります」。大好きな先輩に恩返しがしたい。もらってきた愛情は、倍以上で返していく。

(竹村岳 / Gaku Takemura)2025.11.24