7日にキャッチボールを再開「プラン通りに」
自分自身の歩みたい道筋が、あらためて明確になった。憧れの存在である大先輩に「ご飯に連れていってもらいました」――。近況を明かしたのは前田悠伍投手だ。米国での長いシーズンを戦い終え、すでに帰国している千賀滉大投手と顔を合わせる機会があった。
9月26日に左肘のクリーニング手術を受けた左腕。慎重なリハビリを重ねながら、11月7日にはキャッチボールを再開した。「ここまで痛みもなくきていますし、腫れとかも特にない。プラン通りに進んでいると思います」と表情は明るい。12月中にブルペンでの立ち投げを目指して、ステップを踏んでいく。明らかに増した体の厚みが、日々の充実感を物語っているようだ。
本格的な投球からは遠ざかっているが、「逆にやりたいことができるので、楽しいです」ときっぱり。リハビリ生活の中でも目標に向かって真っすぐに突き進んでいる。そんな左腕に、さらに大きなモチベーションとなる出来事があった。
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続きの内容は
千賀が明かした、前田左肘への「太鼓判」
41番が結んだ、二人の「特別な縁」とは
前田悠伍が持つ「背番号の不思議な力」
千賀に左肘の状態も報告…大先輩から太鼓判
「少し連絡を取らせてもらった中で、食事にいくことになりました。田上(奏大)さんと大竹(風雅)さんにも『声をかけて』ということで、4人だったんですけど。もうガッツリ野球の話ばっかりでしたし、僕としても肘の状態を報告させてもらったり。『その感じだと大丈夫そうだね』って言ってもらいました」
昨年12月にも都内で食事をしたが、スケジュールが詰まっていた千賀はわずか30分ほどで退出したという。今回は馬肉を味わい「1時間半くらい、一緒にいられたと思います」と少年のような笑顔で振り返った。2022年オフに海を渡った千賀と、2024年からホークスの一員となった前田悠。ともにプレーした経験はないものの「何かを残そうとしてくれているのが伝わってきます」と感謝しきりだった。
2人の共通点といえば背番号。41番は、ホークス時代に通算87勝を挙げた千賀の代名詞だ。2022年オフに海を渡ったことで、2023年は空き番号となったこともあり、翌年からドラフト1位で入団した前田悠に受け継がれた。20歳のエース候補は「今になって、41番でほんまによかったなって思っているんです」という。追いかけていきたい先輩との“縁”を、つないでくれた番号だ。
「もし僕が他の背番号だったら、千賀さんにとっても“ただの後輩”だったと思います。目をかけてもらえなかったかもしれないですし、プロになった時は千賀さんとこういう関係になるとも思っていなかったので」
高校時代には11番や14番も着用…実は「“持っていた”のかも」
2023年のドラフト会議後、入団に向けてステップを踏んでいく中で球団からは“他の候補”も提示された。「10番もありましたし、正確には覚えていないんですけど20番台と30番台もあったと思うんですよね」。目に飛び込んできたのが、41番だった。千賀滉大の後継者――。その番号がホークスファンにとって何を意味するのか、すぐに理解できた。
「テンションが上がって、すぐに(担当スカウトの)稲嶺(誉)さんに『41番にさせてください』って言いました」。胸が熱くなったことは今も鮮明に覚えている。「プロになって2年目が終わりましたけど、めちゃくちゃお気に入り。この番号を選んで本当によかったです」と繰り返した。来季が3年目。これからも、大好きな41番とともに自分だけのキャリアを歩んでいくつもりだ。
大阪桐蔭高時代、公式戦では1番をはじめ11番や14番を着用した経験がある。湖北ボーイズでは、練習試合用の背番号はある程度、自由に選択ができた。「1年生から3年生の間で被らないようにしないといけなかったですけどね」。左腕が着用していたのは、21番。それも「中日に行かれた土田龍空さんとの入れ替わりで僕がつけることになった。そういう意味では“持っていた”のかもしれないですね」。過去を振り返っても、特別な背番号を受け継いできた。その1つ1つにこだわりを抱くのが、前田悠という男だ。
リハビリに取り組む前田悠の姿は、そばで支えるスタッフが「見たことない」と驚くほど前向きだ。心配はいらない。自分の理想像に向かって、一直線に突き進んでいる。
(竹村岳 / Gaku Takemura)