「正直、プロでは無理」 右肘手術、宇野真仁朗の本音…自らの不安に打った“終止符”

リハビリ中の宇野真仁朗【写真:竹村岳】
リハビリ中の宇野真仁朗【写真:竹村岳】

7月31日にトミー・ジョン手術…決断に至った理由

 腹を括った決断だった。「自分はメスを入れたくないと思っていたんです」。手術に至るまでの心境の変化を打ち明けたのは、宇野真仁朗内野手だ。

 2024年ドラフト4位で早実高から入団。高校通算64本塁打を誇り、ウエスタン・リーグでも10試合に出場して打率.391と結果を残していた。高卒1年目から発揮していた見事な対応力。誰もがその未来に希望を抱いていた中、リハビリ組に移管したのは6月の出来事だった。原因は、右肘痛の再発――。7月31日には「右肘関節内側側副靭帯再建術」を受けたことが発表された。

 野手では珍しいトミー・ジョン手術。球団の発表には「競技復帰まで8か月の見込み」と記されていた。長期離脱を覚悟して、決断した理由を明かす。右肘の状態は、自分の想像以上に思わしくなかった。

本音としては「やろうと思えばできたんですけど…」

「ずっと選択肢として(手術は)あったんですけど、自分はメスを入れたくないと思っていたんです。そしたらもう1回、リハビリという診断を受けた。だから(決断したのは)再発がわかった時じゃないですかね。『やるしかない』と思いました」

 アマチュア時代から右肘を痛め、プロに入っても春先はリハビリ組だった。5月頃から2軍戦に出場し始めたが、すぐに再発。自分の不安に“終止符”を打つために、腹を括った。「多分、あのままやろうとすればできたとは思うんですけど……」。一流選手だけが集まるプロの世界。“ごまかしながら”プレーしていても通用しないことは、宇野自身が一番理解していた。

「正直、プロのレベルでは無理だったと思います。自分の中で一番大きいのは、不安があってセーブをかけちゃうこと。それだと練習しても伸びないですし、練習量を確保できないっていうのが、一番のきっかけになりました」

 制限があった状態では、ハードなトレーニングをこなすことはできない。自分の今後を考えても、まだまだ練習量が必要なのは当然のことだった。「そんなに甘くないですし、フルでできないとなかなか上がらないじゃないですか」。全ては、大好きな野球に全力で打ち込むため。「来年は絶対に1軍で出たいですし、2年や3年というよりも、本当に10年くらい先まで考えて(手術)したっていうのはあります」と具体的に語った。

宇野真仁朗【写真:竹村岳】
宇野真仁朗【写真:竹村岳】

武田翔太や長谷川威展…先輩たちにも相談

 リハビリ組には、トミー・ジョン手術を経験した先輩がたくさんいる。「やっぱり相談はしました。澤柳(亮太郎)さん、長谷川(威展)さん、武田(翔太)さん、宮崎(颯)さん。皆さん『やった方がいい』とも言ってくれたりして、この時期にはこんな治療を受けるとかも教えてもらいました」。自分もこれから長期のリハビリに飛び込んでいく。地道な日々に励む選手たちから、小さなヒントを得ていた。

 現状については「伸ばされる感じがするとめちゃくちゃ痛いです」と本音を明かす。まだ右腕にギプスをつけており、肘を曲げられる角度も制限されている状態だ。生活の中でも「右側はやっぱり意識しますね。机だとか、なにかにぶつかったり引っかかったりしてもダメなので」。手術の前から、字を書くのも食事も左手を使ってきた。「他の人たちに比べれば、そういうところはまだ大丈夫です」とは言うものの、細かい注意を払いながら日々を過ごしている。

 関東で生まれ育った19歳。親元を離れて、福岡で過ごす1年目に大きな決断を下すことになった。「(家族も)心配しているでしょうけど」としたうえで「ここまできたら、自分がやるかやらないか。頑張るだけです」。一人の男として、頼もしく言い切った。そして、応援してくれるファンへ――。「1年目は何もできなくて、結果も残せなかった。来年こそは、皆さんの前で元気にプレーしてる姿を見せたいですし、そう思ってリハビリを頑張るので。応援よろしくお願いします」。そう語る目には、熱い炎が宿っていた。

(竹村岳 / Gaku Takemura)