前田悠伍が語る家族の存在 12歳で感じた“申し訳なさ”…今も忘れないグラブの値段

イニング間にキャッチボールする前田悠伍【写真:古川剛伊】
イニング間にキャッチボールする前田悠伍【写真:古川剛伊】

プロ初勝利の記念球は「両親にプレゼント」

 初めてグラブを買った日のことは、今でも覚えている。「めっちゃ高いやん……」。少年が抱いた純粋な感情はいつしか、親孝行したいという原動力になっていた。

 ソフトバンクの前田悠伍投手が13日、楽天戦(楽天モバイルパーク)でプロ初勝利を挙げた。10代での快挙は、球団では2012年の武田翔太投手以来。走者を背負っても表情を崩さなかったが、6回のピンチをトリプルプレーで切り抜けた時だけは安堵の笑みを浮かべた。19歳とは思えないほどの強心臓。プロ2度目の登板で手に入れたウイニングボールは「両親にプレゼントしようと思います」と微笑んだ。

 4歳上の兄・詠仁(えいと)さんの影響を受けて野球を始めた。「『買ってやる』って言われても、『お兄ちゃんのもらうわ』みたいな感じでした」。グラブがいつも“お下がり”だったのには、理由がある。バットやスパイクなど、練習道具にお金がかかることを理解していたからだ。

大阪桐蔭高時代には遠征も経験「パンフレットに…」

 中学生になると、湖北ボーイズに入団。このタイミングで投手用のグラブを買ってもらった。「それも5、6万とかしたんですよ。『うわ、めちゃくちゃ高いやん……』って思っていましたね」。硬式野球は自らが選んだ道とはいえ、12歳ながらに“申し訳なさ”を感じていた。「あまり(両親にお金を)使わせたくないっていうか。もう『いらん、いらん』みたいに言っていたんですけど。野球に関してはそういう気持ちがずっとありました」。

 幼稚園の頃から夢見てきた大阪桐蔭高への進学を叶えたが、家計に負担をかけてしまっているという思いは変わらなかった。私立の超強豪校。仙台や東京など、数多くの遠征も経験した。「ある程度、パンフレットに部費とか寮費も載っているじゃないですか。それこそ甲子園に出てもホテル代とかかかったので。出られるのは嬉しいことだったんですけど、その度に『高いな』って」。野球ができているのは、周囲の支えがあるから。常に感謝の気持ちを抱いているからこそ、前田悠はどんな時も絶対に妥協しない。

 2023年7月30日、大阪府大会決勝で履正社高に敗戦。高校野球を終えると、進路について本格的に考えた。プロ志望届を提出したのは1か月半が過ぎた9月19日。自分の思いを家族に打ち明けた時も、すんなりと受け入れてくれた。

「もともと『プロに行く』って言って大阪桐蔭に入ったので、何とも言われなかったです。『まあ、頑張れよ』みたいな。『やめといた方がいいんちゃう』とか、『社会人とか大学に行った方がいいんちゃう』とかは全くなかったです」

プロになって手に入れた“初任給”、家族に言われた言葉

 ドラフト1位でホークスに入団。プロ野球選手として“初任給”を手にしたが、家族からは「貯めとけ」と言われた。「なにか買おうと思ったんですけど、何をあげたらいいかわからないじゃないですか。あげても、いらんものやったら嫌やし……」。若干の遠慮も含みつつ、思い悩むところも19歳らしい。仙台で掴んだプロ初勝利こそ、最高の親孝行だ。

 幼少期から大阪桐蔭に憧れた。高2の夏には甲子園の準々決勝で下関国際高に敗れ、大粒の涙を流した。昨年のプロ初登板は3回6失点の“KO”。オフには千賀滉大投手、今永昇太投手らと自主トレを行い、レベルアップしてきた。「本当に全部が重なり合って今があると思います。いい経験もしてきたとは思いますけど、僕はめちゃくちゃ挫折してきましたよ」。自分一人の力で掴んだ1勝ではない。前田悠伍を突き動かすのは、純粋な感謝の気持ちだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)