大企業退社→独立Lで年収1/4 朝は納豆、昼は鯖缶…大友宗、1年目の覚悟「1度死んだ身」

練習に励む大友宗【写真:冨田成美】
練習に励む大友宗【写真:冨田成美】

城島CBOは高評価「大まくりする可能性があるのは大友」

 異色の経歴を持つ25歳ルーキーがホークスでの第一歩を刻んだ。22日に行われたオリックスとのオープン戦(アイビースタジアム)。この日にB組から参加した大友宗捕手が8回1死で代打として登場すると、フルカウントからしっかりとボールを見極め、四球を選んだ。「打ちたい気持ちを我慢してフォアボールを選んだところは良かったですよね」。小久保裕紀監督も落ち着きぶりに高評価を与えた。

 B組の練習ではギラギラとした目と、ひときわ大きな声が目立つ大友。帝京大を卒業後、社会人の日本通運を2年で辞め、BCリーグ・茨城の門をたたいた。「社会人を辞めた段階で、野球選手として“1度死んだ身”と思っているので。『野球を諦められるくらいやろう』と。人生の中で一番覚悟した瞬間でしたね」。明かしたのは“壮絶な1年間”だった。

「日通と比べると、独立時代の年収は4分の1くらいでしたね。もうやばかったです。社会人2年目の税金が次の年に来るので、貯金を切り崩して払いました。昼食は自分で炊いたご飯をタッパーに詰めて、おかずは鯖缶だけ。朝は納豆と卵。飲みに行くことも全くなくて、禁酒を決めていました。1年間、野球だけにかけてやっていましたね」

 日本通運では同じ捕手のポジションに経験豊富なベテランがおり、大事な試合ではベンチを温めることが多かった。2年目のシーズン中には外野手へのコンバートも提案された。「社会人3年目を外野で迎えてプロに行けるのかと考えた時に、自分はキャッチャーしかないと思ったので」。希少性の高い捕手としてプレーすることが、プロへの近道だと考えた。

 もちろん葛藤はあった。「日通が会社として潰れることもないでしょうし、野球をやめたとしても人生としては安泰だったと思います」。それでも、プロへの道を最短距離で歩むことを選んだ。「年齢的にも社会人で3年目を迎えた場合と、独立リーグで(スカウトに)見てもらえる可能師を考えた時に、独立の方がチャンスだと判断して。思い切って行こうと考えました」。トライアウトを受けたのは茨城だけだった。

打席に立つ大友宗【写真:冨田成美】
打席に立つ大友宗【写真:冨田成美】

「独立リーグも球団によって色がたくさんあるので。勝ちたいチームやプロに行かせたいチーム……。色んな人に話を聞いて情報収集をした中で、茨城が一番いいと。全く縁はなかったんですけど、飛び込みました」

 両親は「好きにやってこい」と背中を押してくれた。BCリーグでは贅沢とは無縁の生活を送りながらも、がむしゃらに白球を追いかけた。「野球がうまくなっていく実感があったので、それが自分の中で一番楽しくて。苦しいと思ったことはなかったですね。『これで終わり』と思えば楽しめるというか」。野球少年のような姿勢が、プロ入りへとつながった。

 7月には26歳を迎えるオールドルーキー。だからこそ、誰よりもどん欲に進み続ける。「1年目ではありますけど、年齢的に今年が勝負なので。ダメだったら戦力外になる可能性だってありますし、その覚悟はできているので。グラウンドに立って『きょうはもっと声を出しておけばよかった』とか後悔はしたくないので。“一瞬に生きる”というのを大事にしたいなと」。小久保監督の著書をなぞらえながら、その決意を語った。

 春季キャンプ中、「大まくりする可能性があるのは大友」とつぶやいたのは城島健司チーフベースボールオフィサーだった。「高く評価していないなら、あの年齢では取らないですね。早い段階で勝負してもらう選手の1人だし、それは小久保監督にも伝わっていると思うので。近い内にもう1度、チャンスがあると思っています」と力を込めた。

 大友にとって、BCリーグでの日々は何にも代えがたい経験となった。「自分にとってはこれ以下がないと思っているので。この先は何も怖くないですね。プライドも何もないし、捨て身タックルでいくしかないと思っています」。今キャンプ最大の見どころとなっている“ポスト甲斐争い”。1年目ながら背水の覚悟で臨む25歳の存在も楽しみだ。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)