上沢直之、入団“決断”の舞台裏…揺れる胸中を掴まれた理由 倉野コーチが面談で伝えた言葉

上沢直之【写真:竹村岳】
上沢直之【写真:竹村岳】

倉野信次コーチに単独インタビュー…第1回のテーマは上沢直之「入団の舞台裏」

 2025年も春季キャンプがスタートしました。鷹フルは、倉野信次1軍投手コーチ(チーフ)兼ヘッドコーディネーター(投手)を単独インタビュー。第1回のテーマは、上沢直之投手の「入団の舞台裏」です。ホークス移籍という決断をくだす前、2人が交わした会話の“中身”に迫りました。「倉野さんと話した方がいい」。誰よりも“理解者”になることができたのは、米国での苦悩に心から寄り添ったからです。

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 パ・リーグ連覇と日本一奪回を目指すホークス。補強における最大の“目玉”が、上沢の獲得だ。2023年オフ、ポスティングシステムを利用して日本ハムから海を渡った。レイズとマイナー契約を結んだが、その後オプトアウト(契約破棄)を行使してレッドソックスに移籍。メジャーでは2試合登板に終わり、日本球界復帰を選択した。「簡単な決断ではなかった」と、さまざまな要素が自身を迷わせた。


単独インタビューに応じた倉野信次コーチ【写真:冨田成美】

 入団会見が行われたのは、昨年12月26日。上沢は「倉野さんから、ホークスの環境はこういうところが優れているというお話をたくさんしていただきました」と明かしていた。NPB通算70勝、実績あふれる右腕の揺れる心をどのようにして射止めたのか。倉野コーチが、実際に会った時の舞台裏を語った。

「話す機会があったので、話しただけです。僕もたかが2年ですけどアメリカを経験して、思うこともあったし、それは良いものばかりじゃないんです。アメリカでは良いものでも、日本の環境で育った選手にとっては必ずしもいいと言えない。それは僕は判別できていると思う。なぜなら、日本でコーチを13年やって、キャリアを持って向こうに行ったので。日本の環境に合うのかという目線でアメリカの野球を見ることができました」

 海を渡った1年において、上沢が最も苦しんだのが日米の「評価の違い」だ。回転軸や変化量、最新機器を用いて自分の球が完璧に数値化され、首脳陣の評価そのものとなった。右腕の持ち味は、キレのある直球に加え、打者との間合いを制するマウンドさばき。長所を認めてもらえない日々の中、ギャップに苦しみ「自分の強みがわからなくなった」ことが、日本球界復帰を決めた要因でもあった。

 ホークスとの入団交渉の席。球団側の人間から上沢は「倉野さんと話をした方がいいと言われました」という。面識はなかった。倉野コーチから「たまたま共通の知人もいたりして」と連絡を取り、スケジュールを合わせて対面した。お互いに「初めまして」という挨拶から、異例の会話は始まった。

 2022年から2年間、指導者として米国で経験を積んだ倉野コーチ。「そういう観点から、彼が去年失敗したこと、悩んでいることはすごく理解できたし、改善できるだけのものを、このチームは持っていると思うので。そういう話はした覚えがあります」と明かした。上沢の気持ちが痛いほどわかるから「評価って難しくて、数字はあくまでも基準。それが全てになってはいけないという話です。数字に表れない評価はたくさんある」。日本人の指導者として、米国でも訴えてきたことだ。

「僕は向こうのチームでも言ってきましたからね。『ここは間違っているんじゃないか』って。(バッティングセンターのように)穴から球が出てくる競技だったら、数字だけで評価するのは正しいかもしれないけど、バッターはピッチャーのフォームを見てタイミングを取るんですよ、って。穴から出てくるわけじゃないですよねって、プレゼンは向こうで2回、3回としてきましたよ」

プルペン入りした上沢直之(右)と見つめる倉野信次コーチ【写真:竹村岳】
プルペン入りした上沢直之(右)と見つめる倉野信次コーチ【写真:竹村岳】

 圧倒的な球が、打者を抑えることに有利であることは間違いない。一方で、18.44メートルの“空間”を制圧し、チームを勝たせる投手を何人も見てきた。倉野コーチは今も「だから、僕がよく使う言葉は『良い球を投げる競争じゃないよ』『良い球の定義ってなんなの?』って話です。理想はあるでしょうけど、バッターにとっての良い球、悪い球は自分が基準ではない。ピッチャーの仕事は相手を抑えることですからね」と選手に説く。

 そんな倉野コーチの存在は、上沢の決断にも影響を与えた。「まだまだ悩んでいた入団する前、僕がこういう悩みがあるっていう話をさせてもらいました。倉野さんも『悔しい思いがあったと思うけど、一緒に野球がうまくなるために手伝っていけたらいいと思うし。俺も日本からアメリカに行って、帰ってきて、コーチとしても学んできたから』と。すごく心強いなと思いました」。米国で味わった孤独を、必ず日本で力に変える。

 上沢が「なかなかそういう経験をしたコーチは、日本球界にはいないと思う」と話せば、倉野コーチも「ホークスに来てよかったと思ってもらえるような、そういう環境は与えていきたいです」と静かに意気込んだ。簡単な決断ではなかった。だからこそ、福岡で新しい道を、一緒に作り出す。

(竹村岳 / Gaku Takemura)