“苦悩”の板東湧梧へ突然の連絡 大阪での10日間…大竹耕太郎がくれた復活のヒント

7年目のシーズンを迎える板東湧梧【写真:冨田成美】
7年目のシーズンを迎える板東湧梧【写真:冨田成美】

2022年オフに現役ドラフトで移籍した大竹耕太郎…和田毅氏の自主トレでも“同門”

 かつての盟友が、きっかけをくれた。「どこか痛い?」。何気ない連絡がヒントとなり、活路を見出そうとしている。

 板東湧梧投手は、今季が7年目のシーズンとなる。2024年は、1軍登板なし。ウエスタン・リーグでは14試合に登板して3勝2敗、防御率3.88。シーズンを通して最速145キロにとどまるなど、苦しい1年を味わった。今オフ、輝きを取り戻すため懸命に励んできたのが「神経学」だった。きっかけをくれたのが、阪神の大竹耕太郎投手だ。

 師事するトレーナーのもと、1月5日から約10日間を大阪で過ごした。休んだのは1日だけ。「気がついたらこの時期になっていました。野球ばっかりしていました。めちゃくちゃ忙しかったです、正直。一番ドタバタでした。自分が詰め込みすぎるのもあるんですけどね」という怒涛の日々。朝から夜まで、“2部練習”で徹底的に自分を追い込んできた。

「ほぼオフなしで、あっという間にすぎました。朝の6時半からトレーニングで、終わったら11時くらいからキャッチボール。お昼ご飯を食べて、休んで、次は3時からです。(午後)6時、7時、8時までやって、また朝の6時半からっていうのをずっと繰り返していました」

 苦しんでいた昨シーズン終盤、ふいにスマートフォンが鳴った。「どこか痛いの?」。連絡してきたのが大竹だった。かつての同僚で同学年。和田毅さんのもとで自主トレをともにした関係性だ。「いや、痛いところはないよ」と返事をした板東に対し、神経学に詳しいトレーナーを紹介してくれた。

「この先生で(自分も)肩がよくなったから、もしよかったら行ってきたら?」

 大竹は2022年オフに、現役ドラフトで阪神に移籍した。それ以降も交流は続いている。「この間も『どんな感じ? フォームの動画、送ってよ』って。それで(長崎にいる)和田さんも一緒に見てくれました」。大阪にいた期間も自主トレの施設で顔を合わせたといい、ともに切磋琢磨する存在の1人だ。

 神経学という分野について、板東が解説する。「僕の場合は左の神経が縮んでいて、使いたくないところばかりを使っていた。ガチガチに体の末端を使ってしまっていたんです」。投手の投球モーションは、左右非対称。長年の疲労が、身体の中に大きな偏りを生んでいた。和田さんのもとで体幹を鍛えあげても、自然と“中心”を使えずに、力が指先などの末端に逃げていたことに気がついた。

「最初、治療とかの段階では縮んでいた神経を伸ばして、神経疲労を取るのが、その先生の持ち味なんです。それをトレーニングに応用する。使いたいところを使うためのトレーニングに特化させて、その人に合ったオーダーメイドみたいなメニューを作ってもらう。選手によっても違うので、力の拮抗を考えられるように勉強しながら。教えてもらいながらやっていました」

 驚くことに効果はすぐに表れた。「まず胸を張れるようになりましたし、首が長くなったというか。手首、足首も細くなりました」。大竹も過去に、ピラティスの影響で身長が伸びたと語っていた。別の形ではあるが、目に見える身体的変化こそ、ヒントを掴もうと取り組んできた証だ。83キロだった体重も少し減り、今は80キロ台を維持しているという。「だいぶ合ってきたのかなと思います」と語る表情に、充実感が戻ってきた。

 春季キャンプはB組スタートとなった。「内容は濃かったです。今しか無理はできなかったので。みっちりやりました」。あっという間にオフが過ぎ去ったのは、全力で取り組んできた証拠。もう1度、1軍のマウンドに立ちたいと、強く願っているからだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)