「戦友です」。2013年のドラフト会議、大阪桐蔭高から1位指名を受けた森と、富士大から2位で西武に入団した山川。山賊打線の中心だった2人が今も深い絆で結ばれているのは、振り返りたくもないほどキツかった“下積み時代”をともにしたからだ。
「寮生活から今に至るまで、苦しい時も楽しい時も一緒にしてきた仲間なので。ただの友達、先輩後輩って関係じゃない。なおかつ、あいつ野球が上手じゃないですか。野球がうまい人っていうのは、野球に対する情熱が高い人です。これは間違いないです。なので、尊敬している部分も多々ありますし、それはお互いにだと思います。リスペクトし合える仲で、いろんな話もしてきたし、今もしているし。それを一番できる仲間ですね」
2022年オフ、森は国内FA権を行使してオリックスに移籍した。当時を振り返っても山川は「それは、感情的に寂しかったですよ。ただ、決まったことはやるしかなかったですね」。盟友の決断をリスペクトしつつも、率直な思いを吐露した。今では福岡と大阪。パ・リーグの覇権を奪い合うライバルとなった。
2018年には山川、2019年は森がパ・リーグMVPを獲得した。チームの連覇に貢献するなど栄冠を手にしてきたが、記憶に刻まれているのは若手時代だ。ルーキーイヤーだった2014年、1軍で山川は14試合、森は41試合出場に終わる。ほとんどの時間をファームで過ごす中、毎日が鍛錬だった。「ずっと僕が4番で、森が3番を打っていましたね」。イースタン・リーグの公式戦だから、主にデーゲーム。厳しい練習が待ち受けていたのは、試合後だった。
山川は黒田哲史2軍内野守備走塁コーチに引っ張られ、ひたすら特守を受けた。「日が暮れるまで、毎日です。2箱、3箱とか受けていたので、900球くらいは受けていたんじゃないですかね」。長さにして、2時間半ほど。守備に磨きをかけるのは、“戦友”も同じだった。「森なら秋元(宏作バッテリーコーチ)さんでしょうね」。プロテクターを泥まみれにして白球を追う姿を横目で見ていた。高校、大学でも厳しい日々を乗り越えてきたが、プロ入り当初のこの経験があるから、山川は自らの練習量に対して圧倒的な自負を抱く。
プロ11年目だった昨シーズンには、一塁手として初めてゴールデン・グラブ賞を獲得。受賞時にも「黒田コーチが2年間、1日も欠かさずに特守をしてくださったおかげでいただけた」とコメントしていた。自分の基礎が出来上がるまで、ノックを打ち続けてくれた指導者には、今も「一番感謝しています」と頭を下げる。