1番を提示されていた上沢直之は「1桁が似合わなさそう」
秋山幸二、柴原洋、内川聖一……。ホークスの背番号「1」は、チームを背負う主力の野手に受け継がれてきた。周東佑京内野手が、そんな偉大な番号の着用を後輩から“催促”されたことがある。
2020年オフに内川さんがホークスを退団し、翌年は“後継者”が現れず。2022年からはドラフト1位で入団した風間球打投手が背負ったが、今季から育成契約を結んだことで、再び空き番となった。昨年12月26日には、上沢直之投手の入団会見が行われた。結果的に10番を選択した右腕だが、三笠杉彦GMからは複数の背番号を提示された。「1番と10番だったんですけど、僕は1桁が似合わなさそうだなと思ったし、10番の方がしっくりくるかなと思いました」と経緯を語っていた。
2025年シーズンに向けて、周東に「背番号は変えますか?」と聞くと「変えません」と即答された。そう質問したくなったのも、ある後輩選手たちから“取材依頼”をされたから。11月4日の出来事だ。
DeNAとの日本シリーズが終わったのが11月3日。翌4日にチームは帰福すると、夜には1軍選手を集めた祝勝会が行われた。和田毅さんが1人1人、丁寧に現役引退を報告していった“あの会”だ。柳田悠岐外野手や山川穂高内野手、有原航平投手ら主力選手も集結し、焼肉を食べながら、1年間の戦いを一緒に労った。
日本シリーズを終えた瞬間に、2025年の戦いは始まっている。言い方を変えれば、この日は2024年の“オフ初日”でもあった。若手たちにとっても、先輩との距離を詰める絶好のタイミング。周東との会話を明かしたのが、正木智也外野手と川村友斗外野手だった。さまざまな話に花を咲かせる中で、背番号の話題になった。「佑京さん、1番つけてくださいよ」と背中を押したのも、この2人だ。
正木は慶大時代、川村は仙台大時代に1番を背負った経験がある。「やっぱりプロでもつけてみたい」と語る一方で、当然まだまだ実績が必要であることも理解していた。その上で、2人は「佑京さんなら」と口を揃える。背番号は誰かが1度背負ってしまえば、数年間はその“座”が空かなくなる。憧れの番号が埋まることになっても、「1番つけてくださいよ」と迷いなく言ったのは、2024年シーズンをともに戦い、頼もしさを知ったから。選手会長を心からリスペクトしているからだ。周東の返事は「似合うかな?」だったという。
周東も東農大オホーツクの2年、3年時に1番を背負った。2017年育成ドラフト2位でプロ入りすると、121番を着用。2019年3月に支配下登録され、23番はお馴染みの番号にもなっているが、自ら1桁を手に取った経験が2度ある。
1度目は2022年11月、侍ジャパンの壮行試合に出場した時。「ホークスで1桁をつけることがないだろうから」と、4番を背負った。2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、23番をラーズ・ヌートバー外野手が着用したため、9番を選択。「23番はいつもつけているし。『何番がいいですかね』『9、いいすか?』って言ったら『ええよええよ』って言われました」。ホークスで同じ番号を背負っている柳田にお伺いを立てた際のやり取りも明かしていた。
正木と川村から「佑京さんに聞いてみてください」と“取材依頼”されて、わずか数日後。本人を直撃した。「ああ、『1番つけろ』って話でしょ? いいですよ、僕は。面倒くさいです」と即答だった。「佑京さんなら……」という声が後輩から生まれるのも、偉大な番号を継承するのにふさわしい理由に思えるが、「あいつら、自分がつけたいならつけたらいいじゃないですか!(笑)」と声を大きくして言い切っていた。
2024年は123試合に出場して打率.269、2本塁打、26打点、41盗塁。キャリアハイの115安打を放ち、初の規定打席にも到達した。風間が育成契約を結んだことで、自身が飛躍のシーズンを終えた直後に1番が空くことになったが、周東は「もっと若くて、ガツンと行ける選手がつけたらいいんじゃないですか? 25歳くらいでレギュラーを掴みかけている選手がつけた方がいいと思います」と足元を見つめた。ようやく掴んだポジションを絶対に渡さない。そう集中する一方で、「いいですよ、僕は」という言葉には、若干の照れ隠しがあった気もした。
1桁を背負えるのは認められた選手だけ。そのラインアップに新たに加わるのは、「25」から「5」になる山川だ。1番を継承するのにふさわしい選手が現れるのか、どうか。そんな意味でも、2025年の戦いを楽しみにして見守りたい。
(竹村岳 / Gaku Takemura)