ダイエーに入団し、メジャーリーグへ挑戦、そしてソフトバンクに復帰……。22年にもわたるプロ生活を終えたレジェンドを「正装」で見送りたかった。野手で最後の“ダイエー戦士”が自ら発案したサプライズ。実現の舞台裏に迫った。
5日午前10時、和田毅投手が今季限りで現役を引退することが球団から発表された。左腕が決断したのは7月ごろ。正式発表の瞬間まで想いを隠し通した。引退会見は、みずほPayPayドームで同日午後5時から行われることが決まっていた。
この日、筑後では野手の秋季キャンプが行われていた。和田の引退が一斉に報道されると、筑後にも衝撃が走った。練習が終わった午後3時半過ぎ、足早に球場を飛び出したのは、今季まで2軍打撃コーチを務めた明石健志氏。引退会見に駆けつけるために、帰路を急いでいた。
明石氏が一連の報道を知ったのは、この日の朝だった。練習中に携帯電話が鳴った。画面を見ると和田からの連絡。「引退します」という文面が目に入ってきて、思わず「えーー!」と声が出た。
「自分が引退した時にも駆けつけてもらったので」と、考える間もなくドームに向かうことを決めた。さらに、ダイエー時代のユニホームを着て、花束を渡すことを提案した。球団広報に「ああいう場はスーツですよね? ダイエーのユニホームで行こうかな」と相談すると、「それ絶対にいいじゃないですか」と送り出されたという。
明石氏の“サプライズ”は一時、頓挫しかけた。練習終了が午後3時過ぎで、球場を出たのが同3時半頃。「新幹線で行けば間に合うかなと思っていたけど、ユニホームは家にあって、その鍵を(宿舎の)ホテルに忘れてきたんですよ」。時間的にはギリギリ間に合うかどうかというところだった。「ユニホームはもう無理か……」と諦めかけた時、偶然通り掛かった関係者の車に同乗することができた。急いで鍵を取りに戻り、自宅に帰ることが可能になったのだ。
2003年、ダイエーに入団した時に着用していたユニホーム。当時は18歳だった。サイズ的にも違和感なく着こなした明石氏は「中学生のころから体型は変わっていないですよ」と笑った。“野手で最後のダイエー戦士”として2022年に現役を引退した明石氏が、“現役最後のダイエー戦士”に敬意とともに一輪の薔薇を持って、会見場に登場した。FDHのユニホームを見た瞬間、和田は「俺も持ってくればよかった~」と満面の笑みを浮かべた。
2人は2022年9月、明石氏が引退試合を行った日に、それぞれダイエーのユニホームを着て記念写真を撮っている。「和田さんに『ダイエーのユニホームある?』って聞かれて、『ありますよ、ビジター用ですけど』と答えたら、『俺、ホーム用を持ってるから、写真撮ろうよ』って言われて」と振り返る。「僕の(引退の)時はビジター用だったんで、今度はホーム用で」とこだわりも覗かせた。
ちなみにドームのロッカールームに置いてあったのが、クリーニングから戻ってきたばかりのスーツ。緒方理貢外野手のものだった。「タグを付けたまま、それを履かせてもらいました」と後輩のズボンを借りての“正装”だった。
ダイエー時代からお世話になった先輩の引退会見は、涙のない清々しいものだった。「なんか楽しそうに話してましたよね」。明石氏もベテラン左腕のやりきった思いを感じていた。「もう再起不能なんでしょうね」「絶対(体は)ボロボロやろうなと思ってました」と和田がギリギリの状態で戦っていたことも察していた。
明石氏は自身の引退会見を「しんどすぎて、うるっと来ました。思い出したらしんどすぎて……。あれでようやってきたなって」と振り返る。だからこそ、和田のことを思うと、さらに胸が熱くなった。やりきった先輩の姿を見て、怒涛の1日に充実感をのぞかせた。和田がユニホームを脱いだことで、ダイエー時代を知る全ての選手が現役引退した。時代は移ろっても、彼らの戦ってきた軌跡が色褪せることはない。