和田毅が背負った「ファンの気持ち」 目が覚めた城島健司の一言…マウンドで貫いた信念

ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
ソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

プロ2年目にマウンド上で怒られた…城島健司の言葉が忘れられない理由

 エースとしての“矜持”を最後まで貫いた。「だから、マウンドの姿が大事なんだよ」——。自分だけじゃない。野手も、ベンチも、何よりファンの気持ちを大切にするのが、和田毅投手だった。

 ソフトバンクは5日、和田が今季限りで現役引退することを発表した。2002年ドラフトの自由獲得枠でダイエー(当時)に入団すると、1年目から14勝を挙げて新人王となった。日米通算165勝。常に投手陣の先頭に立って、常勝時代を築き上げてきた。「この1球で現役生活が終わっても構わない」。誰よりも和田自身が“引き際”と向き合ってきたからこそ、決意は潔かった。

 アマチュア時代から注目され、ホークスに入るのが夢だった。数々のタイトルを獲得し、2011年オフには海外FA権を行使してメジャーリーグにも挑戦した。栄光も挫折も味わった22年間で、忘れられないのがプロ2年目の出来事だった。バッテリーを組んだ城島健司会長付特別アドバイザーからの一言が忘れられない。

「お前、テキトーに投げてんだろ」

 試合中、あろうことかマウンド上で怒られた。見透かされたかのような言葉だった。長いシーズンを戦うプロ野球。「『今日は調子悪いわ』とかで終わらせていたのかも」。和田は当時を回想する。「1年に1回、もしかしたら一生に1回しか球場に来られない人もいるかもしれないだろ」。ファンの気持ちを背負って投げるようになったのは、この言葉がきっかけだった。

 左腕はプロ野球選手としての大切な意識の1つを「ベクトルを自分以外に向けること」と表現する。試合には展開があり、野手にはモチベーションがあり、ファンからの視線がある。「例えば逆転してもらった次の回にベースカバーを忘れたりしたら、自分以外のことを考えられていないでしょ? 四球1つにしても、球場が“ああ”ってため息をつくだろうし」。試合は自分1人のものではない。だからこそ和田はどんな時でも戦う姿を見せ、野球を見ている人、全ての気持ちを大切にしてきた。

「『打たれているけど、あいつ何とかしようとしているな』とか。ファンの方々が思うってことは、野手の人も思うんです。そしてそれは、監督やコーチも同じ。だからマウンドの姿っていうのは、本当に大事なんです。たとえどれだけ打たれたとしても、相手に向かっていく姿勢だけはなくしてはいけないと思ってやってきました」

 自分にとっては週に1度の登板だとしても、一生の記憶に残る人だっている。だから、和田の1球1球は、どこまでも尊かった。

「『和田、打たれたけど頑張っていたよな。今度は勝っているところが見たいな』、『ヒーローインタビューで話すところが見たいな』って、ファンの方に思ってもらうことは、僕にとって大事なことなんです。こっちが『また来週もある』と思うんじゃなくて、何かを背負って投げること。そう思ってもらうために、準備も努力もしないといけない」

 勝たせたい、応援したいと思ってもらうことは、選手自身にコントロールできることではない。それでも、一生懸命に自分自身と向き合い、努力することが和田毅にとっての野球だった。「僕、野球以外に関してはけっこう適当なんですけど。野球にだけは嘘つかないようにやってきたつもりなので」。日米で重ねてきた355試合の登板。チームとファンのために尽くしてきた全てに、1つの“妥協”もあるはずがない。

 投手の1球には、勝敗がかかっている。結果が全ての世界だから、チームの勝敗は野手の生活にも影響を与える。何よりも応援してくれるファンの気持ちに応えたいと、マウンドで戦う姿を最後まで見せてきた。マウンドで左腕を振るのは、「自分だけの1球じゃない」。プロの世界で残していく結果と、野球に対する取り組みを見て、周囲は“エース”と呼ぶ。「僕はマウンドに上がった人がエースだと思います」と照れ笑いするが、22年間の現役生活で、間違いなくその称号を手に入れた1人だった。

 期待も、勝敗も、人生もを背負ってきた左腕を休める時がきた。口癖のように繰り返していた「チームが勝つことが一番」。この言葉の意味を、少しだけ理解できた気がした。たくさんの夢をありがとう。ホークスのエース、和田毅。

(竹村岳 / Gaku Takemura)