柳田悠岐も涙ぐんだ…盟友・福田秀平の引退 今明かされるロッテ移籍、2人だけの“舞台裏”

ソフトバンク・柳田悠岐【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・柳田悠岐【写真:荒川祐史】

柳田が鷹フルの単独インタビューで明かした“唯一無二”の友人への思い

 現役引退発表の4日前、背番号「9」と「37」が同学年の友人との時間を楽しむようにタマスタ筑後の外野フェンス沿いを歩いた。互いに野球選手として過ごすのは最後かもしれない時間をかみしめるかのように、ゆっくりとした歩調だった。

 8月1日、「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)の福田秀平外野手が今季限りでの現役引退を表明した。かつては同じユニホームで戦った唯一無二の“盟友”が下した、野球人生において極めて重大な「決断」。柳田悠岐外野手は鷹フルの単独インタビューにありのままの心境を口にした。

「電話で『色々ありがとう』と言われて。うん……、ウルっときましたね。僕は何て言えばいいかっていうのを色々考えながら聞いてましたけど。秀平は少しウルっときてるような感じやったんで。もらい泣きしそうになったんですけど、泣きはしなかったです」。引退を報告する福田の声は、電話越しに震えていた。柳田の目頭も自然と熱くなった。

 出会いは柳田が入団した2011年。当時5年目の福田はバリバリの1軍選手だった。デーゲーム中心の2軍と違い、1軍選手はナイターを終え、深夜に西戸崎の寮へ戻ってくる。「たまに会ったらね、1軍のオーラというか。(福田を)1軍選手っていうふうにみんな見てたんじゃないですかね。その当時の寮生は」。当時はまだ「雲の上の存在」だった。

 仲が深まるのに時間はかからなかった。「僕が1軍に上がった時に、ご飯に誘ってもらって。それで2人でご飯に行って。(仲良くなったのは)そんくらいからですかね、1年目の」。それからは常に行動を共にするほど気を許す存在になった。

タマスタ筑後で再会を果たした福田秀平(左)とソフトバンク・柳田悠岐【写真:長濱幸治】
タマスタ筑後で再会を果たした福田秀平(左)とソフトバンク・柳田悠岐【写真:長濱幸治】

 2人にとって大きな転機となったのは2019年オフ。福田は国内FA権を行使し、ロッテへの移籍を決めた。プロ野球選手としての新たな挑戦を応援したい気持ちはありつつも、柳田は自分の気持ちに正直になることを選んだ。

「僕は残ってほしいなと思っていましたよ、もちろん。秀平が『決めた』って言うまでは残った方いいんじゃないかって、自分の願望込みで。でも僕だけじゃないですか。『チャンスがあるなら挑戦した方がいいんじゃない』みたいに言ってる人もいましたし。何が正解かってのはわかんないですけど。自分はやっぱり、友達として残ってほしかった」

 福田にかけた言葉は“ド直球”だったという。「『残った方がええやろ』って。そう言ったのは覚えてますけどね」。結果的に違うユニホームを着ることになったが、2人の関係性が変わることはなかった。

 ロッテに移籍してからの福田は、常に故障との闘いが待ち受けていた。友人が抱えていた苦しみ、もどかしさを柳田は何度も聞いてきた。だからこそ、2023年にロッテを戦力外となり、今季からウエスタン・リーグに新規参入したくふうハヤテでのプレーを決めた福田の覚悟は痛いほど伝わってきた。

「『体のコンディションも良くなってきたから、もう1回(やりたい)』と(聞いて)。(昨年までは)思うように体が動かなかったと思うんで。ずっとね、いろんな病院に行って注射を打ったりとか。そういうことをしていたのは聞いていましたし。お世話になったお医者さんとか、トレーナーさんとか。そういう方々のためにもやりたいと言っていたんで。それは本当にかっこいいなと。頑張って言いました」

 柳田自身も2019年に左膝裏の大怪我に見舞われるなど、故障と闘ってきた。その苦しみが分かるだけに、福田の“生きざま”に心からの敬意を抱く。「やっぱり体がボロボロになるまでやるっていうのは尊敬できるというか、すごいなっていう。並大抵の精神力じゃできないと思うので。強い人間だなと感じます」。

 福田がロッテに移籍した時と同様に、ユニホームを脱いだとしても友人としての関係は変わらない。「これから付き合いも続くと思いますし。とりあえずはゆっくり休んでほしいなっていう気持ちですね」。プロ野球の世界で出会ったかけがえのない存在とのストーリーに終わりはない。

(長濱幸治 / Kouji Nagahama)