ホストファミリーと再会 明かされる17年前の“秘話”…12歳のオスナは「一番ヤンチャ」

ソフトバンクのロベルト・オスナ(右)とオスナが17年前にお世話になったホストファミリーの土屋武彌さん【写真:竹村岳】
ソフトバンクのロベルト・オスナ(右)とオスナが17年前にお世話になったホストファミリーの土屋武彌さん【写真:竹村岳】

2007年にメキシコから来日…当時のホストファミリーを「探してほしい」

 待ち侘びていた再会を果たすことができた。ソフトバンクのロベルト・オスナ投手が25日のロッテ戦(ZOZOマリン)に招待したのは、土屋武彌さん。17年前の2007年、オスナが来日した際にお世話になったホストファミリーだ。鷹フルに「一緒に探してほしい」と記事化を依頼したのが、5月8日。「もしよかったら試合にも招待して、会ってみたい」と願っていた再会が、早々に実現した。

 土屋さんは現在、「御宿町国際交流協会」の会長を務めている。オスナが当時のホストファミリーを探しているという記事を、知人が目にして連絡をくれた。「役場の方が記事のコピーを送ってきてくれたんですよ」。オスナはMLBでタイトルを獲得して、2022年にロッテでNPBでのキャリアをスタートさせた。「マリーンズにオスナという選手が来た時も『ひょっとしたらそうなのかな』とは思ったんですけど、それ以上は深入りしなかったんです。そしたら今年ああいう記事が出て、ソフトバンクに行っていました」と、あの時の少年が福岡にいることを知った。

 17年前、12歳のオスナ少年を知る人物もなかなかいないだろう。オスナ自身は「スーパーに連れて行ってもらったり海に行ったり、本当に良くしてもらったんだ」と振り返っていた。預かった側の土屋さんの視点では、どんな少年だったのか。苦笑いで「一言で言えば、今までで一番ヤンチャでしたよ」と語り出す。7月の暑い日の思い出だ。

「暑くて暑くて、あの子たち上半身、裸で寝るんですよ。風邪を引くからと言って、クーラーをつけてあげたんです。そしたら、次からクーラーのリモコンを隠しちゃうんです。私がいなくなったらまた勝手につけたりして、そういう子でした。『コラ!』って言ってもベランダの外に逃げたりしてね。当時オスナくんが使っていたボールも、まだ家にありますよ」

 そう語る表情は懐かしく、嬉しそう。土屋さんは野球だけではなくサッカーや空手、時には大学生を受け入れるなど、幅広い子どもたちと交流してきた。その中でも「一番ヤンチャ」というのだから、オスナらしい。日本食への対応も早かったそうだが「ただ、コーラがすごく好きで『ダメだ』って言ってもガブガブ飲んでいましたね」と笑って振り返る。

 計4人の子どもを受け入れていたが、土屋さんもスペイン語は話せなかった。「もう身振り手振りでしたよ。家内も話せませんし」と、必死にコミュニケーションを取っていた。夜になり、子どもたちが騒いでいる姿を見ても、何を話しているのかはわからない。オスナの滞在は2週間ほどだったが「決して長くはなかったですし、他には1年いる子もいるんですけど、嬉しいですよね」と、濃密な時間を過ごした。

 来日していたのは、少年野球の大会に参加するため。土屋さんの目から見てもオスナは「チームの中では中心でしたね、4番も打っていました。別格でした」と振り返る。グラウンドまでの送り迎えと、自宅で過ごす時間がほとんどだった。「家内が一番大変でした。洗濯も1日2回していましたし、靴下が破れていたら縫ったりして」と、夫婦で子どもたちを支えていた。「日本から帰る時にも『将来、アメリカで活躍できるといいね』と言って帰したんです。人間どうなるのかわからないですね」と感慨に浸った。

テキーラをプレゼントされるソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:竹村岳】
テキーラをプレゼントされるソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:竹村岳】

 メキシコ出身のオスナは、裕福な家庭ではなかった。何キロも先の小学校に歩いて通い「毎日、足が痛かった」と“股ずれ”ができていた。クリスマスも、寒い中で家族全員がテーブルを囲んで貴重な時間を過ごした。チームメートの存在を「ファミリー」と表現するオスナの価値観。土屋さんも「お母さんが優しい方だったんだと思います」と言う。

「来日してきた時にオスナ君に持たせて、私に手紙を渡してきたんです。『私は残念ながら行けませんので、息子をよろしくお願いします』とスペイン語で書いてあって、文面からも家庭の状況を感じられる内容でした。こういう小さい、メキシコの鏡があるんですけど、それを『ホストファミリーに渡しなさい』とオスナ君に届けさせていました。今まででも、そういう(家族が手紙を渡してきたのは)1人だけでした。まだ取ってあります」

 この日、土屋さんは野球のユニホームを着た少年2人と、1人の少女を連れてきていた。その背景も「うちの家内(妻)も来たがっていたんですけど『許されるのなら子どもたちに枠を譲ってあげて』と言われました」と明かす。オスナという一流投手との貴重な交流を、味わってもらいたかった。「だから、当時のオスナ投手と同じ学年の子を連れてきました。子どもたちにも思い出になればと思いましたし、彼も思い出してくれるかもしれない」。土屋さんからも当時の写真や、テキーラをプレゼントしていた。

少女のユニホームにサインを書くソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:竹村岳】
少女のユニホームにサインを書くソフトバンクのロベルト・オスナ【写真:竹村岳】

 子どもたちもスペイン語で手紙を用意して、読み上げる。オスナもにっこり笑って、耳を傾けていた。土屋さんとの再会、子どもたちとの貴重な交流が終わる時、オスナがこう誓った。「約束します。近い将来、必ず御宿町に行きます」。17年の時を越えた再会。土屋さんとオスナが、人との“縁”を大切にしてきたからだ。

(竹村岳 / Gaku Takemura)