開幕1軍も4月17日に2軍降格「帰ってきたんじゃない。来たんです」
「帰ってきたんじゃない。(2軍に)来たんです」
ドラフト4位ルーキーの村田賢一投手は、独特の表現で口にした。開幕からしばらく1軍に帯同していたものの、4月17日に出場選手登録を抹消された。合流した2軍について聞くと、こう答えが返ってきた。
精密機器とも言われる制球力が持ち味の即戦力右腕。ウエスタン・リーグの“開幕投手”に抜てきされ、3月15日の中日戦でプロ初登板初先発し、6回途中1失点。敗戦投手にはなったが、試合を作り、粘り強い投球を見せた。2度目の先発は同22日のオリックス戦で、7回無失点と再びアピールに成功した。
1軍の開幕直前の同27日、村田の姿はみずほPayPayドームにあった。開幕1軍が内定していた長谷川威展投手が体調不良により離脱。代役として村田に白羽の矢が立ったのだ。
滑り込みでの開幕1軍。この展開には村田も周囲も驚いた。「最後の大番狂わせとか、滑り込み1軍っていうのはみんな澤さん(澤柳亮太郎投手)だと思っていたのが、まさかの2日前に村田になるっていうパターンで。村田に賭けてたら万馬券だったと思いますよ(笑)」と、村田自身が笑って振り返る。
4月13日の西武戦(ベルーナドーム)で、1軍デビューも飾った。約20日ぶりに踏んだタマスタ筑後のグラウンド。村田は「『おかえり』って言われるのが嫌なんで、最近は『2軍に来ました』って言っています」と強調する。2軍が拠点の選手になってはいけない。身も心も1軍に染まろうという、村田なりの意志の現れだった。
1軍生活の中で多くの手応えを得た。プロ初登板が巡ってくるまで、開幕から2週間以上かかった。ブルペンでの準備も「中21日で2日くらい」だった。それでも村田は「時間はかかりましたし、投げていないんですけど、いろんなことを学べたので良かったです」と振り返る。
「1番は時間の使い方ですね。長く丁寧にやればいいって思っていたんですけど、1軍の選手はとにかく全部短い時間に集約していた」と語る。ウォーミングアップやトレーニング、ブルペンでの準備と「無駄な時間がない」。さらに「会話とかするとしても、内容は全て野球のこと」と先輩たちの高い意識を日々、肌で感じた。
「充実していたというか、それから自分もやり方が変わってきた、生活が変わってきたなって感じでした」。ストレッチやトレーニングなど練習時間は「長けりゃいいってもんじゃない」。1軍選手の質の高い時間の使い方を見ることが出来たのは、大きな収穫だった。
中21日で巡ってきた念願のプロ初登板は「もう覚えていないですね」と振り返る。というのも、この試合は山川穂高内野手が2打席連続で満塁本塁打を放った試合。「山川さんが2打席連続の満塁ホームランを打った時、その時点ですぐ(登板を)言われました。『あ、行くんだ』みたいな」と村田。衝撃的な展開もあって、登板を告げられてからの記憶はあまりないという。
「すぐキャッチボールしてブルペンに入って、気づいたらもうマウンドに立ってました。めっちゃ緊張しましたよ。ブルペンの時から緊張していたんですけど、力が入っちゃうというよりは、力が入らない感じで、フワフワしてる感じ。投げている時は、いろんなことを考えたというか、要はこういうことをしなきゃいけないんだっていうのを考えながら。だから、ある程度はどのぐらい真っすぐが投げられてとか、ストライクゾーンの際どいところにちゃんと投げようっていうような落ち着いた感じではいました」
アギラーに本塁打を浴びたものの、マウンド上では冷静でいられた。1軍昇格直前、長谷川勇也R&D担当から「1軍で最初から上手くいくことなんてほぼほぼ無いから」と説かれたという。村田は「その時は『やってやるぞ』って思ってましたが、本当にその通りでしたね」とプロの厳しさもしっかり体感してきた。
2軍降格を言い渡された際、首脳陣から与えられた課題は自身の考えと一致していた。「ゾーンで強く打ち取れるような球、ミスしても打たれない、逆球になっても抑えられる球ですね」。1軍投手陣は、逆球になっても、“投げミス”をしても、打ち取れる強い球がある。制球力は持ち味だが、力で抑え込めるような球も磨いていく必要性を感じた。
降格後、村田は目覚ましいピッチングを見せている。4月24日のオリックス戦では7回途中まで完全投球を続け、7回1安打無失点の好投。5月3日の中日戦でも7回を投げて3安打無失点と、2試合14イニングを投げて1点も失っていない。村田が強く感じた1軍という場所でやることの意味。「ここでやりたいと思った」。いち早く1軍を自分の居場所に。1軍に“帰る”ため、2軍で結果を出し続けてみせる。
(上杉あずさ / Azusa Uesugi)