中学卒業で野球は「辞めようと…」 投手転向からわずか…岡植純平をプロに導いた“偶然”

ソフトバンク・岡植純平【写真:上杉あずさ】
ソフトバンク・岡植純平【写真:上杉あずさ】

「2年目でもある程度やっていかないと、3年目も結果は残らないと思っています」

 プロ野球選手という夢は全く描いていなかった。中学卒業とともに野球を辞めようとまで思っていた男は、今年、プロ野球選手として2年目のシーズンを迎えている。

 2022年の育成ドラフト5巡目で指名され、兵庫の県立飾磨工からホークスに入団した岡植純平投手の人生は、予想だにしない方向へと向かっていった。高校時代のほとんどを野手として過ごしながら、プロから評価されたのは、投手として。数奇な運命によって、プロの世界に足を踏み入れることになった。

「(ピッチャーは)ほぼやってなかったですね。ピッチャーだけに専念っていうのは、3年の夏の大会前ぐらいからです。それまでは結構いろんなところを守りました。ショート、サード、セカンド……。空いたポジションを埋める、みたいな。キャッチャーが怪我したらキャッチャーもやっていました」

 身体能力の高さと器用さゆえに、高校時代はチームで空いたポジションを埋めるユーティリティなプレーヤーだった。一通りのポジションを経験した岡植が本格的に投手に専念したのは、3年生の夏になってからだった。

 投手としてのキャリアがほとんどない中で、投手としてプロ入りするキッカケになったのは、たまたま、対戦相手の選手をお目当てに来ていたスカウトが岡植の投球を見たことだった。この試合での投球が評価され、この後は投手に専念するようになった。

 ただ、当の本人は当時、プロ野球への夢は「本当に全くなかった」という。進学先に飾磨工を選んだのは「工業高校だったので就職率が良くて。就職したいなっていうのがあったんで、就職率が良くて、家から近いところを選んだ」というのが理由。野球は「もう辞めようと思っていた」というほどで、進路の決断とは無関係だった。

 飾磨工でも野球を続けた理由は幼馴染からの誘いがあったから。甲子園もプロ野球選手も目指していない、高校球児だった。「小さい頃は『プロ野球選手になりたい』とか思っていたんですけど、中学生くらいから自分の実力があまりだったんで、もう無理だなと思ってました」と、自身に見切りをつけ、現実的な進路を思い描いていた。

 高校卒業後は就職するつもりで、化学系の学科に入った。「そういう仕事に就けたらいいなって思っていました。兵庫だと、オムツを作る会社や、ボールペンを作る会社、テレビの液晶を作る会社とかがあるんです。もともと化学に興味があって、そういう科に入って学んでいくうちに、そういう会社がいいなと思っていました」と、当時の思いを明かす。

 気持ちがプロ野球に傾き始めたのは、グラウンドにスカウトが来るようになってからだった。直接話すことはできないが、見られていることは分かった。「自分もちゃんとやれば出来るんだ」。可能性があるのなら、挑んでみたい――。幼き頃の夢が再燃した。「チャンスを貰ったからにはやるしかないなと、やる気になりました」。野球と向き合うようになった。

 プロ1年目の昨季、4軍での“プロ初登板”で自己最速を更新する146キロをマーク。ポテンシャルの高さを見せたものの、その後は怪我もあってリハビリ生活を余儀なくされた。今年はファームで先発を任されることになっている。「3年目が勝負とかよく言いますが、僕は2年目でもある程度やっていかないと、3年目も結果は残らないと思っています。だから、2年目にどれだけやれるかが大事」。1番の持ち味は真っ直ぐ。気持ちも球もガンガン押してアピールしてみせる。

(上杉あずさ / Azusa Uesugi)