甲斐野央の独占激白 厳しさ知った野次、1人で食べたコンビニ飯…ファンへ「感謝しかない」

西武への移籍が決まった甲斐野央【写真:竹村岳】
西武への移籍が決まった甲斐野央【写真:竹村岳】

山川穂高の人的補償で西武に移籍「親指が攣るくらい連絡をいただきました」

 ソフトバンク・甲斐野央投手が、西武に移籍することになりました。国内FA権を行使してソフトバンクに移籍した山川穂高内野手の人的補償として指名され、新天地が決まりました。静岡市内で自主トレを行っている甲斐野投手は、鷹フルの単独インタビューに応じてくれました。ホークス入りが決まったドラフト時の心境や、2019年の栄光と挫折、思わず投げ出したリハビリの日々など、全てを一人称視点で語ります。ファンの方々に「感謝しかない」というのも、自分自身の存在を受け入れてくれたから、プロの厳しさを教えてくれたからでした。

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 ホークスファンの皆さま、この度、埼玉西武ライオンズさんに移籍することになりました。もちろん僕が指名されることもあり得るとは思っていたんですけど、発表された日の夜は眠れなかったです。初めてでした、あんなに寝られないの。寝る前にケータイを触っちゃってネットニュースとか見ていて、いろんな感情というか、ホークスに入ってからの5年間を思い出していたら、寂しさが出てきて、寝られなくなりました。(スワイプする)親指が攣るくらいの連絡をいただきました(笑)。マジでありがたかったです。

 感謝しかないですね。僕のこういうキャラを許してもらっているのも、もちろんファンの方がいてくれるから。プレー以外のところで結構目立っていましたけど、テレビだとか。そういう時でも「そういう甲斐野がいいと思う」って声もかけてもらいました。ファンの人にも愛されているなって、マジで感じていました。それこそ今回も寂しいですけど、野球ができなくなったわけではないので。僕は僕でできることが必ずあるので、それをやっていきたいです。

 6年前のドラフト会議、あの時は高校生が目立っていたじゃないですか。藤原(恭大)、根尾(昂)、小園(海斗)、吉田輝星……。西武にそれこそ僕の同級生の松本航が指名されたのかな? 一本釣りでしたよね。1位指名の時に僕の名前は出ていなかったので「まあまあ、そんな甘い世界じゃないよな」と思いつつ、指名を待っていました。

 外れ外れですけどホークスに指名をいただいて、すぐにホークスのユニホームでプレーしている自分を想像しようとしたんですけど、全然できなかったです。ホークスがスーパースターの集いだと思っていたので、そういうイメージでした。ずっとプロ野球選手になりたかったですし、プロ野球が憧れの舞台すぎて、嬉しさよりも感動が大きかったです。ドラフトの会見場での記憶もありますけど、なんて、うまくしゃべろうかなって感じでした(笑)。

 1年目から65試合に投げさせてもらいましたけど、今思えば出来過ぎじゃないですか。防御率が最後にドカンと上がってしまいましたけどね。色々「酷使」「酷使」って言われますけど、3連投も最後の最後だけだったので。その中で、投げさせていただく機会が多かった。「投げさせすぎだろ」って声も多かったですけど、僕としてはすごく経験をさせてもらいましたし、何も負の感情はないです。今の時期に大きな怪我をしていても、同じように思ったと思う。天と地を味わったような感覚でした。

 その中でも、1年目に得たこと、勉強させてもらったことは多かったです。一番はプロ野球の世界を経験させてもらったことですね。(特にお世話になったのは)唯斗(森)さんですね。しか、思いつかないです。気にかけてくれて「ボール投げすぎちゃうか?」とか。ふざけているように見えますけど、本当に考えている方。そこも含めて「あの時ちゃんと言うこと聞いておけばよかったな」って言うことは多いですよ。

西武への移籍が決まった甲斐野央(左)【写真:荒川祐史】
西武への移籍が決まった甲斐野央(左)【写真:荒川祐史】

 それこそ1年目の楽天戦の時(2019年9月24日)に負けを食らったんです。その時、僕サインミスもしてしまって、制球もバラバラでした。「これ勝ったら優勝に近づく」みたいな試合だったんですけど、そこで負けてしまって、それはメンタルに来ました。「1年目っていう言い訳できひんな、任せられている以上は……」って自分の中で背負っちゃって、その時も先輩がすごく気を遣ってくれて、3人とか4人とかがご飯に誘ってくれました。

 でも、本当に申し訳なかったんですけど全員断らせてもらって「さすがに今日はちょっと……申し訳ないです」って。先輩たちも気を遣ってくれて「そういう時もあるよ」「1人でゆっくりしな」って言ってくれました。食事会場にも行かずに、1人でコンビニに行って、ご飯を買って、部屋で飯食ってました。一応、次の日もあったので、あんまりその脂っこいものじゃなくて、うどんみたいなのを食べた気がします。それで早く寝ようって。

 それこそ覚えているのは、ファンの人ですね。僕1年目でしたけど“喝”というか、そんな感じの声をかけられました。野次って言ったら表現の仕方は良くないと思いますけど。「プロ野球すげえな……」ってその時も思いましたし、ファンの人にとっても当たり前だよな、そりゃ怒るよなって思いました。それだけ、ファンの方々の気持ちを背負っていることを気づかせてもらった試合でもあります。

 2020年の12月に右肘の手術をしました。一番苦しかったのはその時ですね、ずっと。正直本当に、このまま終わるんかなって思っていました。でも確実に、確実に終わりたくなかったので、余裕で。僕の性格上でもそうなんですけど、プレーヤーのままで僕は居続けたいんです。絶対にこの素晴らしいプロ野球の世界で、終わりたくないという思いではいました。

 それでも、リハビリはキツすぎました(笑)。特に、術後ですね。怪我をした後は「痛くなる要素いっぱいあったな」って感じなんですけど。リハビリの知識も何もなかったですし、何も考えずにやっていたんだなっいうのは感じさせられました。リハビリに入ってから。右腕を曲げるのも痛かったですから。

ソフトバンクの声出しの様子【写真:荒川祐史】
ソフトバンクの声出しの様子【写真:荒川祐史】

 人的補償が発表された時も「ケガから復帰した時にマウンドで受けた声援はずっと忘れません」とコメントをしたんですけど、あれは忘れられないです。1軍の復帰登板だった日本ハム戦(2021年8月15日)です。その時はコロナだったので、ファンの方々の声援はなかったんですけど、拍手。あれは本当にすごかった、忘れないです。温かったです。温かいという表現が一番合っています。

 5年間を振り返ると「この出会いがあったから」というものがいっぱいありすぎて、マジで決められないです。マジで。これは記事として書くのは面白くないかもしれないですけど、自分で言うのもなんですけど、すごく可愛がってもらえるようなキャラだと思うんです。自分でも。上からももちろん、下からも好かれるキャラだったと思うんですよね。嫌いな人もいたかもしれないですけど、でも人間関係のストレスは全くなかったです。

 それくらいいい人ばかりだったので。誰、というのは申し訳ないですけど決められないです。それも、色々と思っていたら(人的補償が決まった日の夜も)寝られなかったんですよ(笑)。

 移籍が決まって昨日、先輩後輩、同級生にも電話をさせてもらいましたけど、今僕が電話をしている人が、真剣勝負の相手になるんだと思うと、恐ろしいなと。逆に言えば楽しみだと思いました。選手というよりも、ホークスと対戦できるのが楽しみです。西武さんに必要としていただいたことは間違いないですから。僕は野球人としても人間としても、どの球団に行ってもやることは野球です。これからも、甲斐野央を応援していただけたら嬉しいです。

 僕に関わってくださった全ての方々に、この場をお借りして、感謝を申し上げたいです。5年間、ありがとうございました。ホークスファンの皆さんは、本当に最高でした。

(竹村岳 / Gaku Takemura)