戦力外に「後悔一切ない」 重田倫明の第2の人生…広報転身を予言した3人の“イジり”

ソフトバンク・重田倫明広報【写真:竹村岳】
ソフトバンク・重田倫明広報【写真:竹村岳】

2023年10月28日に戦力外通告を受け「一番ワクワクする方向へ」

 誰もがいつか、ユニホームを脱ぐ時が来る。地位も名誉も手にしたスター選手だろうと、花を咲かせることができなかった選手だろうと、それは同じだ。ソフトバンクの重田倫明広報はこのオフに球団から戦力外通告を受けて現役を引退した。新しい進路として選択したのが、広報だ。メディアと球団の間に立ち、露出をコントロールするのが主な仕事で、ファームを請け負うことになる。第2の人生を決めた背景には、尊敬する3人からの愛ある“イジり”があった。

 千葉県八千代市出身。千葉英和高時代にもプロ志望届を提出したが指名はされず、国士舘大に進学した。2018年育成3位でホークスに入団すると、1年目の2019年からウエスタン・リーグで2試合に登板。2022年には同リーグで44試合に登板するなど、常に支配下昇格の候補として挙げられていたが、5年目を終えたところでユニホームを脱ぐ決断をした。

 戦力外通告を受けた昨年10月28日、PayPayドームを訪れた。今後について「自分が一番ワクワクする方向に行けたらいいなと思います。惹かれた方に行きたいです」と語り、現役の続行をはじめ、さまざまな選択肢を踏まえつつ進路を考えていた。球団から広報としての入団が発表されたのが12月22日。どのような心境の変化があり、広報という次なる人生を選ぶことになったのか。真意と背景を明かした。

「世の中を知ろうというのもありましたし、いろんな人の意見、お話も聞くことでどんどんワクワクしてきた感じでした。(広報を選んだ決め手は)何もないですけど、西田哲朗(広報)さんと、加藤和子さんにもともと良くしてもらっていて、あとは千賀さんですね。その3人からはずっと『広報だろ?』って言われていました。現役の時は『やらないですよ』と言っていたんですけど、本当にオファーが来るとは思っていなかったので、即答でやるという気持ちでした」

 今や1軍の選手取材を管理、調整する西田広報。長年オフィシャルリポーターを務めてきた加藤さんに、自主トレをともにした千賀滉大投手(メッツ)らが口を揃えて重田広報の進路を“予言”していた。「イジりだったんですけどね。結局その道に行くとは」と苦笑いするが、3人はいち早く重田広報の素質を見抜いていたのかもしれない。「本当にそんな話があるとは思わなかった」と、導かれるように第2の人生がスタートした。

 自分の中では、進路の候補は3つに絞って考えていたという。そこに正式に広報というオファーが届き、決断したのが11月中旬だったそうだ。「話をいただいたオファーの中で(広報は)魅力的だと思いました。オファーをいただいた翌日には返事をしに行きました」と即決だった。支配下だけを目指して、汗を流した5年間。広報という役職で要請を受けた時、球団から言われた言葉がとにかく嬉しかった。自分の頑張りを、見てくれている人がいた。

「『今までの頑張りだったり、取り組み、あとは裏方さんやコーチへの関わり方を見ていると信頼を置いているから』と。いろんなオファーで7つくらい候補を出してくれたんです。広報についても『新しいポジションを作ろうと思っているところにオファーしたいと思っている』と、人事の方に言われました」

現役時代の重田倫明氏【写真:竹村岳】
現役時代の重田倫明氏【写真:竹村岳】

 進路を決めた報告を、一番にしたのが東浜巨投手だ。昨オフまで自主トレをともにしていた先輩右腕に、球団から広報としてのオファーがあった時も、正式に決めた時も、直接会って報告した。もともと予定していた食事とも重なり、面と向かって伝えられたことで「喜んでくれました」と東浜の反応も代弁する。支配下に昇格することで恩返しはできなかったが、これからは違った形で東浜からもらったものを表現していく。

 今年の5月には28歳となる。野球への思いについても「(戦力外を)受けたら辞めるというのは決めていましたし、NPBのオファーがない限りは野球はしないと決めていた」と、ここが確実に分岐点になることもわかっていた。育成の選手は3年を終えれば1度、自動的に自由契約になる。2度の再契約を経験し「(12球団合同)トライアウトも受けないことは3年前から決めていましたから」と、全てをかけて支配下登録を目指してきたから、後悔があるはずがない。

 プロでの5年間は長く、つらいことも多かったはずだ。1軍のマウンドは最後まで立てず「もっと派手に散りたかったですね。1年目の最初から、やるからには野球オンリーの人生でやっていくと思っていた」と笑って振り返る。その上で「自分のやれる尺度、自分の100%をずっと意識して準備してきた自負はあります。本当に後悔は一切ないですし、いろんな方にも『トライアウトも受けず、やり切ったと言えるのは本当にやり切れたなど思う』と言われました」と胸を張るのだから、全力で駆け抜けた5年間だった。

 新しい広報という役職は意外にも「本当にワクワクしかない。人と人との繋がりは自分も好きですから、メディアの方と接しながらいいものを作っていくというのは楽しみしかない。緊張とか不安は全くないです」と言い切る。近況報告も兼ねて、ファンへのメッセージをお願いすると、真っ直ぐな言葉だけが並んだ。

「オープン戦でPayPayドームで投げた時やキャンプでA組に選ばれた時、フォーカスされる時以外でも声をかけてくれる人がいたり、サインが欲しいと言ってくれる人がいた。そんな人がいたから毎日モチベーションを持ってやれた野球人生でした。プレーで恩返しはできなかったですけど、陽の目を浴びていない選手でもいろんな人に知ってもらえるように。『ホークスっていろんな選手がいるね』と思ってもらえたら僕としても嬉しいですし、声をかけていただいても嬉しいです。今後も応援、よろしくお願いしますとお伝えしたいです」

 もうプロ野球選手ではない。選手を支えるスタッフの1人として、ホークスの力になる。

(竹村岳 / Gaku Takemura)