周東佑京は「足が1番速いわけではなかった」 小柄でシャイ…目立たなかった中学時代

ソフトバンク・周東佑京【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・周東佑京【写真:荒川祐史】

太田ボーイズ監督が語るルーツ…足の速さは「2番か3番」

 2023年3月のWBC準決勝ではサヨナラのホームを踏み世界一に貢献、シーズンでは2度目の盗塁王を獲得――。ソフトバンク・周東佑京内野手は“足のスペシャリスト”として自らの地位を築いてきた。育成から実働5年間で154盗塁を積み上げた男のルーツはどこにあるのか。中学時代の恩師、太田ボーイズ・檜野武一監督に話を聞いた。(※周東選手の中学時代の写真を掲載しています)

 都心から約2時間弱、周東が中学までを過ごした群馬・太田市は近くに金山があり、自然豊かな場所だった。練習場所の鳥之郷スポーツ広場では約20人の小中学生が打撃練習やベースランニングで汗を流していた。当時、周東を指導した檜野監督は「走塁だけではなく、打撃も守備も上手でした。ただ、プロになれるとは思っていなかったです」と懐かしそうに振り返った。

 プロ入り後、最大の武器になっている走塁技術は、当時から光るものがあった。他の選手と比べ、圧倒的だったのはストライドの大きさ。地面を飛ぶように蹴り、軽やかに走る姿は檜野監督も印象的だったという。

「軽やかなんですよね。良い意味で重心が高く、飛んでいるような感じ。地面を蹴っているんですけど、ドタドタって“喧嘩”しない。今の佑京の走りもそうじゃないですか。あれは天性のものじゃないかな」

 しかし、入団当初は「足が1番速いわけではなかった。チーム内で2番か3番」。ストライドは大きかったが、体が小さかった。周りのチームメートと比較しても、目立たぬ存在。「(身長)150センチもなかったんじゃないかな。当時は体も小さくて、自信がなかったのか、性格は一言でいうとシャイ。あまり表に出さず、謙虚な子でした」。負けん気は強く練習熱心。それでも、熱い想いは内に秘めていた。

太田ボーイズ時代のソフトバンク周東佑京【写真:太田ボーイズ提供】
太田ボーイズ時代のソフトバンク周東佑京【写真:太田ボーイズ提供】

 周東が頭角を現したのは東農大二高に入学してから。身長も現在の180センチ近くまで伸び、3年夏の群馬大会は高橋光成投手(現西武)を擁する前橋育英に敗れ、甲子園出場は叶わなかったが、主将で遊撃のレギュラーを務めた。「その時は守備もかなり完成していました。足があるので、グラブに入れたらこぼさなくなっていた」。進学した東農大オホーツクでも好成績を残し、ソフトバンクから2017年ドラフトで育成2位指名を受けた。

 2019年開幕前に支配下に登録されると、同年のプレミア12、2023年のWBCで野球日本代表「侍ジャパン」にも選出。武器の足で盗塁王を2度も獲得しているが、檜野監督はもっと伸びると考えている。それは走塁だけでなく、守備、打撃でもそうだ。

「“走塁のスペシャリスト”と言われていますが、打撃、守備もプロで、そこから走塁がずば抜けているだけ。当時からミート力は秀でているものがありましたから。こんなもんじゃないと思います」。檜野監督には、2023年シーズン序盤は強引に長打を狙っているように見えた。9月以降は打率.330、34安打で月間MVPに輝いたが、「あのくらいはできると思う」と淡々と話す。

 2024年シーズンから選手会長を務める。「走塁だけじゃなくて、打撃も、守備も。もっともっと後輩に伝えて言ってほしい」と願う。本当の実力はこんなもんじゃない――。たゆまぬ努力を見てきたからこそ、さらなる飛躍を確信している。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)