周東佑京に“胸キュン”…急に呼ばれた下の名前 人の心に飛び込む才能と衝撃の初対面

梅田歩夢さん(左)とソフトバンク・周東佑京(左)【写真:本人提供】
梅田歩夢さん(左)とソフトバンク・周東佑京(左)【写真:本人提供】

周東佑京が愛用するメーカー「久保田スラッガー」担当の梅田歩夢さんを直撃

 プロ野球選手と道具は、密接な関係にある。バット、グラブ、スパイク、手袋。靴のインソールやアクセサリーにまでこだわる選手もいる。鷹フルは、久保田運動具店(久保田スラッガー)に勤務し、ソフトバンクを担当する梅田歩夢さんを取材。周東佑京内野手の人柄について語ってもらった。兄貴肌と慕う周東に、思わず“胸キュン”した出来事がある。

 1998年、鹿児島県で生まれ育った。西南学院大を経て、2021年から久保田運動具店に入社。同年は店舗勤務で経験を積んで、2022年からホークスの担当、つまり“現場”に出るようになった。足繁くPayPayドームに通い、1軍がビジターの時にはファーム施設の「HAWKS ベースボールパーク筑後」にも顔を出す。選手の信頼を得るため、グラウンドでプレーに集中してもらうために、メーカーも努力の日々だ。

 梅田さんは現場に出て2023年が2年目。最初は「前任の人が16年担当をされていて、そこから僕に変わったので。まずは覚えてもらわないといけないですし、裏方さんも含めて認知してもらうところからでした」と振り返る。選手との距離感で心がけているのは「年が近い選手がいっぱいいるので、野球以外の話もしたりして、メーカー関係なく何かがあった時に頼ってもらえるように、日頃を大切にしていました」。コロナ禍も経験して選手とのコミュニケーションにも苦労したこともあったが、誠実さを忘れずに向き合ってきた。

 そして、周東との初対面。衝撃的で「僕今でも覚えてるんです」という。当時の状況について、詳しく振り返ってもらった。

「僕が入社1年目で担当になる前の年が、ものすごく最悪なシーズンだったんです。手術もあって、手術で離脱する前も調子が上がっていなくて、どん底で。それこそシーズン中に店に来た時、僕いまだに覚えているんですけど、すごく悲壮感が漂う顔で来店してきたんです。(まだ関係のなかった)僕でも、話すところを見て暗いなというか……。元気ないなっていうのはめちゃくちゃ伝わってきました」

 2021年の周東は70試合出場で打率.201、3本塁打、5打点。21盗塁も、支配下登録された2019年以降ではワーストの数字だ。2020年には50盗塁を記録したものの、前年の活躍を超えることはなかなかできず、交流戦では走塁のミスを連発。9月には右肩の手術を受け、そのままシーズンを終えた。その時の来店では、梅田さんは会話をすることはなく一方的な初対面だった。成績が振るわず、思うようにいかないことへのもどかしさがオーラとなって表れていたようだ。

ソフトバンク・周東佑京(左)と梅田歩夢さん【写真:竹村岳】
ソフトバンク・周東佑京(左)と梅田歩夢さん【写真:竹村岳】

 そして、2021年12月。翌年からホークスの担当になることが決まっていた中、また周東が来店した。「来年から担当になりますとご挨拶したのが、最初です。その時は緊張しました」と挨拶を済ませて、関係がスタートした。2022年はリハビリ組からスタートしたものの、1軍に昇格して以降は打率が3割を上回る時期もあり自然と表情にも明るさが戻っていた。衝撃的な初対面から、周東の印象も少しずつ変化していった。

「僕の担当し始めた時はもうだいぶ投げられるようになっていて、表情が全然違いました。めっちゃ明るくなっていて、本当はこんな明るくて、優しくて、イキイキした雰囲気を持っている人なんだなって思いました。1軍に上がってからも、そこからもまたオーラが変わったというか。僕が初めて店で見たあの感じとは、もう全然違いました。初対面の時は『大丈夫かな』って思いましたけど(笑)。去年は楽しそうに野球をしている印象を受けました」

 周東は3歳年上。梅田さんは「実際は3つ上なんですけど、僕の勝手なイメージがあって。プロ野球選手というだけで、もう少し上に感じることがあるんです」という。自分が学生だった時から、プロの世界で戦っていた人ばかり。最初は距離の詰め方にも苦労した。「接しているうちに、すごく兄貴肌だなって思うようになりました。日が経つに連れて佑京さんの人柄も見えてきて、年下の僕らにはすごく兄貴感があります。それはめちゃくちゃ思います」と語る。

 絶妙な距離感の詰め方を、感じ取った出来事がある。2022年の出来事。「呼び方が急に変わったんです。最初は『梅ちゃん』みたいな感じで、松田(宣浩)さんも『梅ちゃん』って呼ぶので。そしたら、距離が詰まってきたくらいから急に『歩夢』って呼ばれるようになりました」。人見知りもせず、人懐っこい周東の性格。前兆もなく、急に下の名前で呼ばれるようになったことには「『うあ』ってなりました、突如だったので」と驚いたが、それ以上に嬉しかった。これを機に梅田さんも「周東さん」から「佑京さん」と呼べるようになったのも、周東の方から心を開いてくれたからだ。

 今年の3月にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも出場して世界一を経験した。「世界一になって(これまでよりも)すごく自信があるように思います」と梅田さんなりに印象の変化も語る。次回は、周東に謝罪した出来事。そしてそれを通して触れた、周東の兄貴肌について迫っていく。

(竹村岳 / Gaku Takemura)